人間だもの。みんな大なり小なり欠点はつきもの。僕の場合はというと、極度の面倒くさがりということです。

しかもこの面倒くさがりの気質は、それを正してくれる人がいないと、どんどん拍車がかかる。ひとり暮らしなんてしたが最後、生活のすべてがマイルールでまかり通ってしまうので、面倒くさがりここに極まれりみたいになってしまう。

昔から郵便物の封を切る作業がめちゃくちゃ苦手で、わざわざハサミを探すのも面倒だし、封を切ったら切ったで切れ端の方がゴミになるし、中身の書類を確認し、適切な対応をとり、用がすめば封筒も書類も全部ゴミになる。それをシュレッダーにかけ資源ゴミにして出す手間まで考えると、あまりの面倒くささに気が遠くなって、結局未開封のまま部屋の一角にうずたかく積み上げ放置して終わる。ちなみにこのエッセイを載せてもらっている講談社からも3年前に「要返送」と判の捺された書類が郵送されてきたのだけど、いまだにスルーし続けている。講談社さんごめんなさい。

 

料理なんかもそうだ。冷蔵庫の中を見れば、白菜と豚バラ肉がある。よし、じゃあオシャレに白菜と豚バラのミルフィーユ鍋にしようなんていそいそ台所に立つ意欲まではある。が、ちみちみ鍋にしきつめるのが億劫になって、どうせ腹に入ったら同じだしと結局ただの白菜と豚バラのごった煮になるのがお約束。料理において腹に入ったら同じは禁句だと思う。

こんな性格だから事務手続きなんて親の仇より憎い存在。毎年、確定申告はいつまでやらずに逃げ続けられるかのチキンレースになってるし、大きな声では言えないけど引っ越して8ヶ月も経つのにまだ免許の住所変更もしていない。なんならついに服を着ることさえ面倒になってしまい、部屋にいるときはパンイチが常になってしまった。何だこの誰も喜ばない情報は。

だが、こうした面倒くさがりの性格で、最終的に首を絞められるのは自分自身である。そうやって面倒くさがったところで、結局、やらなきゃいけないことを先送りにしているだけ。むしろツケはたまる一方なのだ。それを実感した出来事がある。

あれは今からもう7〜8年前のこと。引っ越すことになった僕は荷物の整理をしていた。すると、中から1冊の本が出てきた。裏返してみると、市内の図書館のシールが貼ってある。

まだ若い頃、そんなにお金がなかった僕はよく図書館で本を借りていた。けれど、仕事が忙しくなっていくにつれ、わざわざ借りに行くのが面倒になり、いつしかぱったりと足が向かなくなっていた。この本は、どうやらそれより前に借りたまま、返すのをすっかり忘れていた代物らしい。いわゆる借りパクである。

一応、人並みに倫理観はある。図書館の本といえば、市民の共有財産。きっとこの本だって、このあと何人もの人が返却待ちをしていただろう。やってしまった。借りたものを返すのを忘れていた罪悪感と、楽しみにしていた人を不当に待たせてしまった申し訳なさで頭がパニックになる。

とりあえず早く返さなければ。と、なけなしの良心がいきり立つ。が、同時にこんな不安がひょっこり顔を出す。え……怒られたらどうしよう……。