いい大人がいけしゃあしゃあとこんなことを言うのもアレですが、怒られるのがめちゃくちゃ苦手です。むしろ年々苦手になってる。子どもの頃は怒られるのが日常茶飯事だったから、いちいち何も思っていなかったけど、大人になると怒られる回数がぐっと減るじゃないですか。というか、むしろ怒られることがほぼなくなる。そのせいか免疫がどんどん弱まっている。たぶん今、波平さんに「ばっかも〜ん」って叱られたら普通に泣く。カツオ、メンタル太すぎじゃない?

自分が悪いのはわかっている。だけど、できれば怒られたくない。小言や嫌味もノーサンキューだ。その上で、この本をできるだけすみやかに返却したい。相反する2つの願望をどうにか成立させる手立てはないか。僕の中の一休さんが必死になってトンチをきかせる。そして、ある作戦を閃いた。

明くる日、僕はおずおずと図書館を訪ねた。吹き抜けのエントランスは天井が高く、開放感がある。半円状のカウチでは品の良さそうな初老の男性が歴史小説に目を落としている。この慌ただしい毎日の中で、図書館はいつもそこだけ時間が止まっているようだ。決死の覚悟を秘めた男が今まさにここにやってきたことなど誰も想像すらしていないように、それぞれが思い思いのひとときを過ごしている。

カウンターの中にいる館員さんと目が合った。館員さんは僕を見て控えめに微笑む。その瞬間、自分の悪事を見透かされたような気持ちになって心臓が跳ね上がる。もうこの時点で思考回路がバグっているので、目に映るすべての人が僕を借りパクかました不届者だと見ている気がして、視線が痛い。気分は完全に銀行に押し入った強盗犯である。しかし、ここまで来たらもう逃げられない。借りパククソ野郎は、神妙そうに眉間にシワをつくり、カウンターに例の本を差し出した。

 

「すみません、この本なんですけど」

館員さんは、沈痛な面持ちの僕を見て、怪訝そうに首を傾げた。僕は続ける。

「実は先日兄が亡くなりまして。遺品整理をしていたら、この本が出てきたんです」

すると、館員さんは「まあ」と声にならない声をあげて、ため息をついた。

「確認したら、もう返却期限もだいぶ過ぎていたみたいで。それで急いでお返しに上がりました」

 

要は、嘘をぶっこいたのだ。借りパクした本人が返しに来たら、何か言われるかもしれない。だったら自分じゃない別の誰かが借りたことにすればいいじゃないか。しかも、その人が返しに来ることのできない必然性があって、なんなら相手の同情を買うくらいの理由があれば御の字。そこで一休さんはいもしない兄を捏造し、その兄に借りパクの罪をかぶせるだけにとどまらず、死んだ設定にすることで、あちらに物を申しづらい空気にさせるという手口を思いついたのである。もうね、ほとんど詐欺師。新右ヱ門さんも「そりゃないでござるよ〜」って言ってる。

「兄がご迷惑をおかけして申し訳ないです」

僕は、かすかに唇を震わせて、館員さんにお詫びを伝える。館員さんはとんでもないと手で制し、どう対処していいのか少し困った様子を見せながら、短くお悔やみの言葉を述べた。高校時代、僕は演劇部にいたのだけど、当時磨いた演技力をまさかこんなところでフル活用するとは思わなかった。諸先輩方、あのときの鬼のようなシゴキ、今ならようやく許せる気がします。