流産と、母親になりたい思い


「流産の経験は、人生で一番つらかったです。赤ちゃんが流れてしまったのは心拍も確認できたあとでした。突然酷い出血が始まり、流れてしまったあとも出血が止まらず、寝たきりで動けない日々がしばらく続きました。妊活のことは公にしておらず、親にも言っていなかったので頼ることもできず……あの時はさすがに、メンタルも体調も本当にキツかったです」

流産の前後で、千尋さんは2ヶ月近くも体調不良が続き、仕事もままならない状態になってしまったそう。

Kさんは病院に付き添ったりサポートしてくれたそうですが、このとき何より頼りになったのはごく親しい女友達の存在だったと言います。

「寝たきりの私の家に毎日のように友人が来てくれて、身の回りのお世話を全部してくれたんです。彼女たちには本当に感謝しています。中にはシングルマザーや同じく妊活中の子もいて、色々と深い話をするうちに、改めて母親になりたいという気持ちや覚悟が強くなりました。

また、薄々思っていましたが……私はもしかすると、男性より女性の方が一緒に過ごしやすいのかもしれません。男性と結婚したり生活するイメージは沸かないけど、女性同士で長時間過ごすのはごく自然で心地良いんです。女性と何かしらの関係を持ちたいと思ったことはありませんが……」

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流産のあと、千尋さんは仕事の量を減らし、1年間のあいだ体調の回復と妊活に専念し、念願の妊娠・出産に至りました。

また妊活中、ご両親には内情を告げていなかったと言いますが、その後はどうなったのでしょうか。

 

「両親は、地方在住の“ふつうの真面目な人”です。そんな両親に私の考えを理解してもらうのは難しいし、事前に報告して心配させたり悩ませたりするのはむしろ酷だと思ったので、安定期に入ってすべて取り決めてから話しました。Kさんは必要なら一緒に挨拶に行くと言ってくれましたが、それも遠慮して。

両親は唖然というか言葉も出ないという反応でしたが、30代半ばにもなった娘……しかも妊婦に説教する気にはならなかったようです(笑)。あまり深い話はしないものの、東京に来て育児も手伝ってくれるので、とてもありがたいです」

現在、Kさんは変わらず定期的に千尋さん親子に会い、良好な関係が続いているそう。さっそくママ友も増え、1人で子育てしている感覚は今のところあまりないそうです。

「とはいえ、やはり母親1人であることは自覚もしているし覚悟もしています。でも実際にこの子が産まれて本当に可愛いし、愛情を注ぐのが幸せ。“子どもを幸せにしてあげたい、そのために頑張ろう”と思えるのもすごく嬉しい。幸福度の高い選択ができて良かったと思いますし、支えてくれた周囲の人たちにも感謝しています」

千尋さんの言葉は始終一貫してしっかりと自信に満ちたもので、ご自身の生き方にとことん向き合い、実現に向けて行動を重ねられたことがよくわかりました。

男女交際、結婚、出産……などは、ほとんどの人が人生で経験すると思います。しかしそれに違和感を感じたとき、常識に囚われず、自分軸で自由な選択ができるのは素晴らしいことだと感じました。

けれど当然ながら、そのためには強い意思と行動力、経済力も必要となり、責任感も増すでしょう。

千尋さんが彼女なりの幸せを掴んだのは、何よりブレない芯の強さによるものだと思います。親子の成長を今後も楽しみにしています。
 


取材・文・構成/山本理沙

 

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