お互いの痛みに共感できる関係もまた「家族」とか「家族以上」の関係


『ファミリア』の冒頭のシークエンスで、自らろくろを回し、柔らかい土を見事に茶碗の形へと作り上げてゆく役所さん。演じる誠治は陶芸家の役です。

役所広司さん(以下、役所):児童養護施設育ちで父も母も知らずに大人になっている誠治は、結婚したときは妻と、父親になってからは息子と、どう接していいかわからないんですよね。でもきっと家族だけでなく人間関係全般として、うまく交流ができない人だと思うんです。陶芸っていう仕事は自分に没頭できるし、嫌な人と会話しなくて済むじゃないですか。生活はもちろん陶芸だけでは成り立たず、運送のバイトもしながらだったと思いますが、心が平穏でいられるのは陶芸をしている時間だったんじゃないでしょうか。

誠治というキャラクターにとって、陶芸はとても大事な要素だったと語る役所さん。当初から監督に「吹き替えはやらない」と言われていたために、とにかく練習したそうです。

 

役所:本当に一生懸命にやりましたね。指導してくれる陶芸家の方が撮影中もずっと付き合ってくれて、撮影現場で教わって、自宅の駐車場で泥をこねたり電気ロクロを回したりしていましたね。トップシーンで器を形にするところとかは、器の形が監督のイメージ通りにならず、20テイク以上やったんじゃないかな。でも僕は陶芸の作業が好きだったから「上手になれるといいな」と思いながらやっていました。泥を洗って粘土にして、それが器の形になっていく過程が本当に面白いし、でもそれが焼いた後にどうなるかもわからない。なんでしょうね、魅力的な仕事だなぁと思いました。映画作りと似てるかも? まあモノづくりってみんなそうなのかもしれないですね。

映画はそんな誠治と「息子たち」の物語と言っていいかもしれません。ひとりは実の息子でエリート商社マンの学(まなぶ)。そしてもう一人が、ひょんなことから知り合った日系ブラジル人の青年マルコスです。

役所:誠治は自分を「泥をこねて焼き物を作ることしかできない人間」と思っていて、学は眩しいほどの息子なんですよね。素晴らしく優秀だったから父親としてできることもないし、自分の背中を見せようとも思わない。むしろマルコスのほうが、誠治に似ているかもしれないですね。彼は様々なことに絶望している青年なんですが、ひと目で陶芸に魅了されて「やりたい、手伝わせてくれ」と誠治に言ってくる。若いころの自分と重なったと思います。

一般的に「家族」というのは「血縁」という意味になるのかもしれませんが、お互いの痛みに共感できる関係もまた「家族」とか「家族以上」の関係なんじゃないですかね。人の痛みを感じるのは本当に難しい事ですが、中にはいますよね、そんな存在が。「こんなに苦しんでいるんだな」と思えば当事者と同じように胸が痛む関係は血縁だけではないし、生きていく上ではそういう存在が本当に大事なのかなと思います。

映画には、ある悲劇を理由にマルコスを徹底して苦しめる存在・榎本が登場します。実のところ誠治は榎本とほぼ同じ悲劇を経験するのですが、その行動は正反対と言えるほど異なります。

役所:誠治はマルコスの未来のために、何かしてやりたくて、ああいうラストシーンになったんだと思います。榎本の周りには、そういう大人がーーちゃんと彼の痛みを感じてくれる「家族」がいないまま、育ったんじゃないですかね。誠治のような、若者のために命がけで何かしてくれる大人が、この国にももっといるといいな、なんてことも思いました。