就職は、人生の節目。その大事な報告をいちばんに受けるのは、少なくともこの教室の中では自分だと思い込んでいた。なのに、そのお株はあっさりと奪われ、何ならこのどんちゃん騒ぎの中で僕は完全にただのモブ。ねえ悟空、俺は親友じゃなかったの……?
以来、その親友(仮)とはすっかり喋れなくなってしまい、関係が修復するまで3ヶ月はかかりました。今思うと、どう考えても僕が悪い。そもそも親友だろうが友人だろうが、彼が自分のことを誰に報告しようと、彼の自由。いちばんに結果を報告してほしいと約束をしていたわけでもない以上、傷つく権利すら僕にはないわけで。親友というボジションを笠に着て、真っ先に報告を受けて然るべきだと胡座をかいていた己の傲慢さを恥じるべき話です。
そう頭ではわかっているんだけど、思春期の出口ギリギリで立ち往生しているあの頃の僕には難しかった。どうしても誰かの特別でいたかった。愛されることに慣れていない僕は、自分が愛されているのかどうかが不安で、「親友なら何でもいちばんに報告する」とか、授業中に交換した手紙の数とか、深夜の長電話の通話時間の長さとか、そういうわかりやすい指標で友情を測って、安心しようとしていたのです。
だから、クリリンが羨ましかった。あんなに自分勝手に生きて、ちっとも自分のことを顧みてくれない悟空の奔放さを受け入れ、それでも友情を信じて疑わないクリリンの強さがほしくてほしくて仕方なかった。だって、クリリンはきっとセルゲームが終わって悟空が死んだあとも、年に1度は悟空の墓前に会いに行ってたんじゃないかと思うの。そこで18号とかマロンちゃんの話をしたりしてさ。見ろよ、こんなに髪伸びたんだぜって笑いながらひとりごちてる。でも、その逆を悟空がしているイメージは一切わかない。なのにそれに対して引け目も鬱屈も抱えないクリリンの潔さが羨ましくて、僕はずっとクリリンになりたいボーイだった。
あれから20年が経ち、今もその親友(仮)とはなんだかんだ交友が続いている。親友と呼べるのかどうかはわからない。会うのは、年に1回程度。お互いもっと気心の知れた相手はいるだろう。でもこの関係を親友と定義するかしないかなんてどうでもいいと思えるくらい、薄っぺらくてたくましい信頼で僕らはつながっている。それでじゅうぶん特別じゃないかと。40を前にしてようやくクリリンの境地に近づけた気がしたのでした。ありがとう、クリリン。もう君のことを羨ましいなんて言わないよ。
と思っていたら、最近、ふとこんな後日談を聞いた。『ドラゴンボール』は基本的には魔人ブウ編にて完結しているのだけど、その人気から派生作品は生まれ続け、『ドラゴンボールGT』というアニメオリジナルストーリーが存在している。ただし、鳥山明こそ公式と思っている僕にとって『GT』は外伝的な位置付けでしかなく、リアルタイム時からまったく観ていなかった。
ところが、この『GT』の最終回で、神龍と共にこの世を去ることを決めた悟空が、最後にカメハウスに立ち寄り、クリリンと組み手をするのだと言う。あの家族にも友達にも殊更執着を見せなかった悟空が最後にそんなエモいことを……? 何それ観たいと思った僕はすぐさまサブスクで『GT』の最終回を観た。そして幼い姿の悟空と、すっかり年をとったクリリンの組み手にギャン泣きした。前後の話の流れなんて一切わからないくせに、むせぶほどに大泣きした。あの悟空が、最後の最後でクリリンを特別扱いしたのです。家族よりも、最大のライバルよりも。よかったね、クリリン。君の友情がやっと報われるときが来たんだよ。
そして、そうやって悟空から特別扱いされるクリリンを見ながら、僕はこう思うのでした。やっぱりクリリンになりたい、と。
構成/山崎 恵
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