昔から不思議なことがある。どうして人は、2人でいるときと、みんなでいるときでは、態度が違うのだろう。それを最初に感じたのは、中学生のときだった。

中学生の僕は「いじめ」と「いじり」のちょうど中間にいるような子だった。運動が苦手で、見た目も悪く、家も豊かではない僕は、いわゆるカーストの上位にいる子たちからすると、格好のターゲット。筆箱を窓の外に放り投げられたり、ヘッドロックをかけられたり、悪意のあるあだ名で呼ばれたり、ということがしょっちゅうあった。

かと言って、痣になるほど殴られることはないし、お金を巻き上げられることもないし、仲間外れにされているわけでもない。大人から見たときに、いじめられているのか、いじられているだけなのか、絶妙に判断しにくいポジションだったと思う。

僕自身も、自分がいじめられているというふうに見えるのだけは嫌だったから、あえてピエロを演じていた。これはジョークなのですよ、男同士によくあるおふざけなのですよ、と誰よりも自分で自分に言い聞かせていた。

教室にいると、だいたいちょっと気の強そうな男の子が率先して僕をからかう。そして、その取り巻きが4〜5人、同調するように笑う。今となっては、それが「いじめ」か「いじり」かみたいな線引きは、僕にとってはどうでもいい。ただ、みんなが僕のことを一段低く見ていたのは明らかだった。こいつはぞんざいに扱っていいという共通認識で、彼らはつながっていた。

 

でも不思議なことに、みんな、僕と2人になると、そういう態度をおくびにも出さない。誰も殴ったりしないし、バカにしたりしないし、変なあだ名で呼んだりしない。それは周りで笑っている子もそうだし、リーダー格の子ですらそうだった。

 

たぶん僕が喋るとそこそこ面白いということが、いくらか助け舟になっていた気がする。それこそいつも一緒に帰る男の子は、20分くらいの帰り道、僕の話にいつもケラケラと笑ってくれた。よっちゃんは面白いわあと喜んでくれた。でも次の日になると、よっちゃんではなく、うれしくないあだ名で呼んだ。僕が持ち物を隠されても、ニタニタと笑っているだけだった。

だから、僕はあんまり集団というものが好きになれなくなった。一人ひとりは、優しかったり、まっとうだったりするのに、集団になるとみんな気が強くなる。正しいことと、正しくないことのジャッジが狂う。自分は誰より上で、誰より下、という序列をつける。それは他ならぬ僕だって同じだ。だから、なるべく集団でいることを避けるようになった。「みんな」で顔が見えなくなる付き合いはなくてもいい。その代わり、数は少なくていいから、「あなた」と「私」で付き合える関係を強く求めるようになった。

大人になっても、やっぱり集団は苦手なままだった。20代の頃は会社員だったのだけど、会社という集団にも最後まで馴染みきれなかった。2人で一緒にランチに行ったらいい人なのに、みんなで飲みに行ったら、急に人をバカにしたコミュニケーションのとり方をする。そういう人が、わりとよくいた。