人に親切をするのにも、それなりの自己肯定感が必要だよな、と思う。

これはもう20年以上は染みついている習慣なんだけど、僕は電車で年配の方がいたら必ず席を譲る。いい人ぶりたいわけでもなんでもなく、そっちの方が楽なのだ。

目の前に初老の方がいたとする。そのとき、脳内には2つの選択肢がよぎる。席を立って譲るか。そのまま無視を決め込むか。当然こちらも疲れているときはある。このまま座って休みたい気持ちもある。でもそうすると、目の前で自分より体力のない人が立っているのに自分は座ったままなんて何様のつもりなんだという罪悪感が、僕の良心を太鼓の達人くらい乱れ打ちするので結局心が休まらない。だったら、さっさと譲った方が精神衛生的にもいいという、本当、親切心のかけらもない話なのです。

ちなみに席を譲ったら譲ったで、厄介なことがある。特に困るのは、次の駅に着いて隣の席が空いたときだ。もう1回座るのもカッコがつかないし、だからと言って席が空いてるのに立っているのもおかしいしで、親といるときにテレビをつけたら古谷一行と川島なお美の『失楽園』がやっていた中2の夏のより気まずい空気になる。

そこで編み出した、いかに自分にストレスを与えずに席を譲る方法を発表します。それは、「次の駅で下りますんで」と申し添え、すかさずドア付近に移動し、ホームに着いたら速攻で降りて、別の車両に乗り換えるというもの。こんな面倒くさいことこの上ない手法を、僕はかれこれ20年以上続けている。席くらいせめてもっとスマートに譲りたい。

 

この心理状態を自分なりに分析してみると、要はいいことをしている自分に耐えられないのだ。親切なことをしている自分に酔っているという自我が漏れ出ていないか気が気じゃないし、まかり間違って他人からいい人認定された日には羞恥心で爆発する。自尊心が低すぎて、こんな自分が人に善行を施すなど大きなお世話という刷り込みが頭に植え付けられているんだと思う。

 

それを実感した出来事が、この間あった。

僕はMr.Childrenのファンである。先日、30周年ツアーがあり、僕も喜び勇んで参戦した。

これは完全に余談ですが、僕はライブがあまり得意ではない。大好きな音楽を生で浴びられる興奮はもちろん何にも代えがたい。だけど、ライブ特有の手振りが苦手なのだ。

横に振ろうものなら、確実に周囲と右左が逆になる。で、「オッケー。基本右からね」と慣れてきた頃には、今度はいきなり手振りが前後になったりするの。あれはどういう法則性?

あと、手拍子。『innocent world』のAメロが「ズン、チャチャ」なのはわかる。でもさ、Bメロの途中あたりから怪しくなるじゃない? 桜井さんのテンポも上がってくるじゃない? あのときのスムーズな移行がわからん。もう必死に周囲を窺いまくって、曲どころではない。