私たちが「人の気配」を感じる機械を必要としてしまうワケは


きっとりんご帝国は私とSiri(和名・支離と命名)の会話を記録してデータを活かしているでしょう。今後、私がSiriに対してもっと節度ある態度を取るようになるためには二つの方法があると思われます。Siriがより洗練された使い心地の優れた機械になるか、より後ろにいる人間の気配を濃厚に感じさせる不気味な機械になるか。全くストレスなくスイスイ命令してタスクを実行させることができるようになったら便利だけど、それでも会話によって指示する側と言われたことを遂行する側で立場が固定していますから、つい自分がSiriの「ご主人様」である気分にはなってしまいそうです。

「お願い、私を人間でいさせて」Siriに邪険にしてしまう日々に思う技術と人間性の難しいバランス_img0
写真:shutterstock

それよりも、いつスマホの画面がパカっと開いて中から人が出てくるかわからないような「人の気配」を感じれば、きっと私は対人間モードで礼儀正しく用心深くなるでしょう。そう、券売機の裏が実はオフィスでした、みたいなことですよ。

 

今後、人工知能を使ったより人間ぽい機械が生活に入り込んでくることは間違いないでしょうから、ロボットのハラスメント被害対策として、「そこに生身の人がいる」感の演出をぜひお願いしたいものです。こうして自律的な人間性の向上を放棄していること自体、私が技術によって退行している証拠なのでしょうね。
 

「お願い、私を人間でいさせて」Siriに邪険にしてしまう日々に思う技術と人間性の難しいバランス_img1
 


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