誰もが抱えるささやかな「嘘」にまつわる、オムニバス・ストーリー。

 

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大手商社受付嬢の意外な「裏事情」

 

「高梨さん、お疲れ様です。受付1番席、交代いたします」

紗季は、後輩が自分を呼ぶ声を聞いて、素早くモニターをログアウトした。直前まで、今夜のおかずを見ていたことがバレなかっただろうか。

「よろしくお願いします。引継ぎ事項は、PC横のメモに書きました」

ここに来る、どんな来客に向けた笑顔よりも「いい笑顔」で、紗季は会釈をしながら交代する。

紗季が契約社員としてこの超大手商社の受付スタッフとして働きはじめてから、なんと6年目。採用されたときは30歳。結婚式直後でダイエットに成功し、エステで磨き上げられていたこともあり、採用は20代の子を想定していたはずだが面接で問題になることはなかった。当時の紗季はCAを辞めたばかりで、そつのない接客術もお手のもの。契約社員とはいえ、かなりの倍率だったと聞くが、紗季は三十路にして大企業の受付嬢となった。

「出産までの間、のんびり働くところを探しているのだろう」と人事担当者は考えていたはずだ。紗季は寿退社をして、ぴかぴかのハリー・ウィンストンを左の薬指にはめた、ちょっと裕福な新妻そのものだった。

ビジネスマナーに気を遣う老舗の大企業だったから、受付はホテルや航空会社で接客経験がある美人がそろっていた。社員との色恋沙汰を予防するために、既婚者を積極的に採用していたふしもある。当時在籍していた8人のスタッフたちは、一癖あるものの、見た目は完璧なる「落ち着いた人妻受付嬢」だった。

だから紗季を採用した部長と課長は困惑しただろう。平均勤続年数1~2年のポジションに、スピード離婚した挙句にこれまでの最長記録を更新し続けるスタッフが出現したのだから。

かくして、紗季は勤続すること早6年目。いまでは1日1000人にも及ぶ来客の大半が判別できるほどの大ベテランになっていた。

「紗季さん、紗季さん。さっきの衝撃的な学生、見ました? なんですかあれー!」

受付スタッフの更衣室兼休憩室に入ると、10分ほど早く休憩に入っていた美加が待ってましたとばかりに声をかけてきた。