お年寄りの一人暮らしであろう生活を、なぜ可哀相がるのか。これを自分に置き換えてみれば、はなはだ失礼な話であることがよくわかる。
僕も40を前に相も変わらず独身生活を送っているけれど、この暮らしを寂しいと思ったことはない。本当に、強がりでも何でもなく、めちゃくちゃ快適だと思っている。
人間なので、寂しいと感じる瞬間がまったくないかと言われたらそんなことはない。でも、それは誰かと一緒に暮らしていても同じだろう。人は、1人でいても、誰かといても孤独を感じる生き物なのだ。むしろそれなりに年齢を重ねてきた分、衝動的に湧き上がる寂しさの解決法も心得ているし、若い頃のように持て余した寂しさをその場凌ぎの相手で埋めて虚しさを味わうこともなくなった。
今はシンプルに1人の生活を心地よく思っている。好きな時間に起き、冷蔵庫の中の野菜からその日の食事をこしらえ、労働に従事し、また食事をつくり、空いた時間でお気に入りのドラマや映画を観る。人に自慢するようなものはないけれど、自分という人間のサイズにちょうど合っている感じがする。この気ままな日々の営みをいとしいとさえ思っている。
だから、第三者から「色気のない暮らしをして……」なんて言われるのは大きなお世話だし、ましてや「寂しい人生」とため息をつかれた日には、抗争も辞さない覚悟である。僕の孤狼の血が「ナメちょんか、わりゃ」とカチコミをかける勢いである。
にもかかわらず、お年寄りが1人で暮らしているのを見ると同情心で喉の奥が酸っぱくなる。この矛盾した心理構造は何なのか。
そこには、きっと年をとったときに1人は寂しいという僕の偏見があるのだろう。実際、確かに寂しい人もいるかもしれない。でも今の僕のように気楽でいいと思っている人だっているはずだ。なのに、負の側面ばかりを切り取り、その人をわかったような気持ちになる。これはとてもグロテスクな行為だと思う。
老いることは、不便であったとしても不幸ではない。1人で生きることも、誰かと生きることも、たくさんある選択肢のうちのひとつに過ぎず、どの道を選んだからと言って不正解のバッテンをつけられるものじゃない。日頃からそう謳っているつもりなのに、心のどこかでそう思いきれていない自分がいることに気づかされて嫌になる。
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