刀ではなく言葉を、戦うことではなく調和を


頼朝が突然この世を去ってからの政子はより存在感を増していった。実子である頼家、実朝が相次いで暗殺され、都から将軍として迎えた幼な子・三虎の後見人となってからは尼将軍と呼ばれ、鎌倉幕府のトップとなる。尼将軍・政子の「代表作」が承久の乱の際の演説である。政子は言葉によって、朝廷相手に戦うことになり困惑する坂東武士たちを一つにまとめた。「吾妻鏡」に記された「其の恩、山岳よりも高く、溟渤(めいぼつ)よりも深し」は有名な一文だ。頼朝公の御恩は山より高く、海より深い、今こそその恩に報いる時だと坂東武士たちを奮い立たせた。三方を山、一方を海に囲まれている鎌倉らしい文言だった。

ドラマでは最終回の一つ前の回がこの場面で、ここも見応えがあった。参謀の御家人がスピーチライターとして書いた演説の原稿を「〜山よりも高く、海より」まで読み上げると、政子は巻き紙を手放してしまう。「本当のことをいいます」と前置きして、自分の言葉で話し始めるのだ。細部は史実とは違うかもしれないが、尼将軍の政子が武士たちの心掴んだ理由がよくわかる。

うつむいて用意された原稿を読むばかりの政治家たちには、この場面を見ておおいに反省して欲しい。(特にプロンプターしか見ていなかった前総理ですよ)言葉は、その人が心から発したものだからこそ強い武器になえるのであって、忖度を重ねて整えたものでは響かないのである。私は、またまた妄想してしまう。政子が令和の時代に現れたら、と。あの時代のあのシチュエ―ションでは戦に向けて奮い立たせるものだったけれど、現代に変換されたらきっと、刀ではなく言葉を使うこと、そして戦うことではなく調和することを説いてくれたのではないだろうか。男らしいとか女らしいとか女だてらとか、そうした形容を飛びこえた「政子らしい」個性こそ、今必要なのではないかしらん。

鎌倉は扇ガ谷の寿福寺に政子が眠っている。鎌倉五山の第三位だが、観光客はわりと少なく、静かな寺だ。創建者は北条政子。長い参道をゆっくり歩いていると、800年も前の鎌倉時代はそう遠くない気がしてくるから不思議である。お疲れ様でした、北条政子。
 

 
『鎌倉殿の13人』総集編
■【総合】12月29日(木)
第1章 13:05~14:15 (70分) 第2章 14:15~15:20 (65分)
<15:20〜15:25 ニュース>
第3章 15:25~16:31 (66分) 第4章 16:31~17:40 (69分)
 
■【BS4K】12月31日(土)
第1章 23:45~0:55 (70分) 第2章 0:55~2:00 (65分)
第3章 2:00~3:06 (66分) 第4章 3:06~4:15 (69分)
 
■【BS4K】1月2日(月)
第1章 8:00~9:10 (70分) 第2章 9:10~10:15 (65分)
第3章 10:15~11:21 (66分) 第4章 11:21~12:30 (69分) 
 

※キャプションの表現を一部修正しました。
撮影(甘糟さん)/大坪尚人
『鎌倉殿の13人』が描いた北条政子はフェミニストの原点か【総集編12/29〜】_img0