枯れて朽ちることでしか味わえない「何か」を知るために
きっと私は長年、「きれいに咲いている時期がいちばんいい」という価値観で生きてきたのだと思います。どうしたら「私」という花を美しく咲かせることができるだろう? と考えるのが楽しかったし、肥料や水をやり、よりよく咲くようにと育てることが、いちばんの関心事でした。
でも、第一線を退いた後に、孫たちに囲まれてご飯を食べる時間や、以前は忙しくてバタバタと過ごしていたのに、ひとりでじっくり1冊の本と向き合う時間は、今までとは違う喜びを教えてくれるのかもしれません。
美しく花を咲かせたその後に、いったいどんな「お楽しみ」がつながっているのだろう? 枯れて朽ちることでしか味わえない何かとは、いったい何なのだろう? それを知るためには、考え方や感じ方を、新たな世界に合わせて、ひとつ「ずらす」必要があります。今までと同じメモリでは測ることができない世界では、新たな「単位」を知らなくてはいけません。
北欧の家具、作家さんが作った器、上質な素材でいいパターンで作られた洋服……。よりよいものと過ごす日常は、生活のクオリティを上げてくれます。一方でヘンリー・デイヴィッド・ソローは、『孤独の愉しみ方 森の生活者ソローの叡智』(イースト・プレス)の中で「破れた服を着たって、何一つ失うものはない」と綴っています。
持たなくても幸せになれる。もっともっと稼がなくても豊かに暮らすことができる。やりがいのある仕事をしていない時間も、楽しく過ごすことができる……。人生の後半に差し掛かった今は、物事の考え方を、今までとはまったく違う方向へ、舵を切るチャンスなのかも。
そのためにも、今まで正解と信じ込んできたあれこれを一旦手放し、新たなメガネにかけかえて世の中を見てみたい。そう思うようになりました。
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