性別が、面倒くさい。

僕は生物学上、男性に分類されている。実際、身体の性が男性であることに違和感はない。心の性が男性であることにも納得している。

じゃあ性別の何に対してそんなにモヤモヤしているのかというと、社会的に見たときに自分が男性という記号を背負わされたり、男性としての性役割を期待されたりすることに対して、戸惑いというか、据わりの悪さを感じてしまうのだ。

 

小さい頃から自分が男子男子していないことは自覚していた。それを最初に感じたのは、『ストリートファイターⅡ』だった。「俺より強い奴に会いに行く」と世界中を転戦し、最終的に悪の組織シャドルーの総帥・ベガを倒すこの対戦型格闘ゲームは、1990年代初頭、日本中の男子の心を掴んだと言っても過言ではないほど大ヒットした。

ご多分に洩れず、僕もその1人で。50円玉を握りしめて、近所の玩具屋の店頭にあるアーケード機までよくプレイしに行った。スーファミ版が発売されてからは、友達の家に集まっては、延々『ストⅡ』に興じていた。「↓、R、↑、L、Y、B、X、A」は、特定の世代の男子ならほとんどの人が知っている魔法の呪文。「CAPCOM」の表示に合わせて「ピュイイイン」と鳴るたびに、開かずの扉が開いたみたいでワクワクした。

このあたりまでは、ごくごく普通に男子だ。あの頃、数百万人といた小さなストリートファイターだった。

でも、どうやら人とちょっと違うのは知ったのは、その先。『ストⅡ』は、世界各国に散らばる8人のファイターから自分の操作キャラクターを選択する。僕は決まって春麗だった。春麗は、唯一の女性キャラ。他の男の子はほとんどリュウかガイルに人気が集中していたし、パワープレイが好きな子はザンギエフ、ウケ狙いでダルシムを選ぶ子もいたけど、春麗を選ぶのは僕しかいなかった。

誤解のないように説明しておくと、春麗自身は格闘ゲームの歴史を変えた伝説的な人気キャラである。初恋の女性は春麗という人も、僕くらいの世代では多いと思う。でも、春麗でプレイするという人は少なくとも僕の周りにはいなかった。男が女性キャラを使うのはちょっとカッコ悪いという暗黙の空気があった。

この傾向はその後も変わらない。『餓狼伝説2』で選ぶのは不知火舞だったし、『マリオカート』ならピーチ姫。自分が男性キャラを選ぶという発想は当時の僕にはなかった。

そんなナヨナヨしていると言われる性格は、少しずつ男子同士の中でからかいや攻撃の対象になる。そのたびに、なんだか男子って面倒くさいと思うようになった。次第に男子のコミュニティと距離を置き、女子と遊ぶ機会が増えはじめる。いつしかそちらの方が僕にはよっぽど自然に感じるようになった。

とはいえ、自分が男子であることに疑いはなかった。女の子になりたいとか、女の子の格好がしたいとか、そういう気持ちはまるでなくて。ただただ思っていたことは、男子に分類されるのが嫌、だった。