なぜ、日本人はマスクをし続けるのか?
歩く人もまばらな大きな公園へ散歩に行って不思議に思うのは、ときどきすれ違う人のマスク着用率の高さです。花粉症など、別の理由からマスクをつけている人もいるでしょう。
もちろん、新型コロナウイルスの感染拡大防止にマスク着用が一定の効果を上げているのは事実です。それでもコロナ対策として、公園を歩くのにマスクをする合理的な理由はありません。
なぜ、わたしたち日本人は必要がないとされている場面でも、マスクをし続けているのでしょうか?
ここで働いている認知バイアスは「多数派(同調)バイアス」です。このバイアスが発生する背景には、次の2つの理由があるとされています。
①快感を求めて、まわりと合わせる。一緒なら楽しくなるんじゃないかという予感がある。
②痛みを避けるために、まわりに合わせる。周囲から嫌われないように、集団からはじき出されないように。
屋外を行く人に「どうしてマスクをしているんですか?」と取材するニュース番組の街頭インタビューなどを見ていると、その答えは「していないと人から見られる気がして」「していない自分がまわりからどう思われるんだろう、と不安で」といった声が多く聞かれます。
つまり、②の理由から発生する「多数派(同調)バイアス」の働きが、ソーシャルディスタンスが保たれた屋外でもマスクを外せなくさせているのです。
そして、「なぜ、日本人はマスクをし続けるのか?」にかかわっている認知バイアスが、もう1つあります。
それは「システム正当化(System justification theory)」という認知バイアス。このバイアスは、「現状のやり方にたとえ問題があったとしても、未知のやり方よりも現在社会に普及しているやり方(システム)を選択する傾向」です。
みんながやっているから、そのやり方に従ったほうがらくちん。
「システム正当化」が働くと、そんな感覚で、感染拡大防止のためにマスクをする意味はさておき、とりあえずマスクをしておこうという選択になるわけです。
日本人は、新しいことにチャレンジする人の割合が低い国民性とも言われます。また、安全な状況でも歩行者が赤信号を守って道路を渡らない、世界から見ると変わった国でもあります。
フランス人の多くは、こう考えるようです。
「車が通らないのに信号を待つ必要はない。ルールや規則は、秩序を保つために必要。ただ、ルールは人間の生活をスムーズにするためにあるのであって、ルールを守るために人間が存在しているわけじゃない」
「多数派(同調)バイアス」と「システム正当化」によって、自分で考える力が奪われてしまっている可能性について考えてみてください。
マスクにしろ、赤信号にしろ、あなたはルールさえ守っていればラクという思考停止の心理になってはいませんか?
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