【ラクになるヒント②】アドバイスには従わなくてオッケー


アドバイスは、一種の呪いです。

自分なんかを気にかけてくれるのはありがたいし、頭をひねってもらって申し訳ないし、厚意や労力に応えないと悪いし……。料理のコツから生き方まで、すべてのアドバイスはたくさんのプレッシャーを伴います。

しかも、ほとんどのアドバイスは、膝を打つ情報や目からウロコが落ちる発見が詰まっている……かと言えば、そんなことはありません。的外れだったり勘違いだったり「わかってはいるけどそれができれば苦労しない」の類だったりします。

仕事にせよ男女関係にせよ、まだ右も左もわかっていない若いころは、アドバイスで助けられた場面が多少はありました。しかし、良きにつけ悪しきにつけ自分なりのスタイルが固まった年代になると、アドバイスで状況や心持ちが劇的に変わることはまずありません。

それは自覚しているはずなのに、私たちは「せっかくだから」と思って、そのアドバイスを少しでも取り入れようとしがち。問題を解決するためではなく、アドバイスしてくれた人の顔を立てることが目的になっていることもよくあります。

なんて無意味な構図でしょうか。すべては無理してアドバイスに従おうとする“人のよさ”が原因。アドバイスしてくれたこと自体には感謝の気持ちを示すにせよ、そのとおりにする義務や義理はまったくありません。どんどん聞き流しましょう。

「アドバイスはどんどん聞き流しましょう」窮屈な常識は斬り捨て!?人生がラクになるヒント3つ_img0
写真:Shutterstock


アドバイスに従わないことにうしろめたさを覚えなくていい


もちろん、有益なアドバイスは取り入れたいところ。スマホに詳しい人が「液晶保護フィルムは、こういう理由でこういうタイプを選ぶといいよ」と教えてくれたとします。「なるほど」と思ったら、素直に従うことで快適なスマホライフが送れます。ピンと来なかったら、従わなくても問題ありません。うしろめたさを覚える必要もありません。結果としてイマイチなタイプの液晶保護フィルムを選んだとしても、自分で考えて自分で判断した結果ですから、それが「正しい選択」です。

アドバイスする側としては、「こうしたほうがいいよ」「こうするのはどう?」とアドバイスした時点で、役割は終わっています。取り入れるかどうかは相手次第。もし「せっかくアドバイスしてやったのに、取り入れないのはけしからん」と怒られたとしたら、それは完全に相手の心得違いです。気にする必要はありません。