メディアが取り上げるのは前向きな障害者
──障害者に関する番組や記事で、自分の障害をすごく恨んでいて、全然前向きになれないという人が取り上げられることって少ないですよね。障害を受け入れていて、もっと言えば感謝していて、ポジティブに捉えている人しかスポットがあたらないというのは、バランスが悪いと感じます。
五十嵐:昔関わっていたメディアで、マイノリティをテーマに取材したことがありました。取材していると取材対象者が、自分が置かれた状況に恨み節をこぼすこともあって。本当はこういうこともしたかったし、社会にこうして欲しかった、と。それを僕はありのまま書いたんですが、ネガティブな部分は丸っと削られてしまいました。いかに困難に打ち勝ってキラキラさせるかが重視されていて、障害があったから今の自分がいます、みたいなストーリーがそこでは求められていたんです。
──障害を受け入れられない、肯定できないというのも現実だし、前向きである必要もない。障害者の物語ってメディアでは美談にされがちですよね。「障害は個性」という言葉も、本人が言うのと第三者が言うのではまったく意味が違ってくると思います。
五十嵐:「障害は個性」って、他人が言っていい言葉ではないですよね。「障害があったからこそ今のあなたがあるんだよね」と言う人もいますが、死にそうな思いをした人に対して言うのは残酷だと思います。
──本人が本当に障害が個性だと思って言うのと、他人が「障害も個性だよね」っていうのは全然違う。障害を持った人が不自由なく生きていける社会ではない。障害を障害たらしめているのは社会に原因があるからなのに、ポジティブに言うことで社会の責任を透明化してしまうと思います。
五十嵐:障害があって大変だった、でもポジティブに生きています、という物語のほうが大勢に受け入れられやすいのは確かだと思います。でもそれだけが正解とされるのはどうなのかなと思うんです。もちろん面白く伝える物語があってもいいけれど、切々と辛いことを辛いと伝えるものがあってもいい。後者を切り捨てないでほしいな。
──きっと現実をそのまま書いたものを読みたいという方も少なくないはずです。ただ、そういうありのままを書いたものを読むのがしんどい! っていう声が大きいから、笑いあり感動ありだというポジティブなものが正しいみたいに見えてしまう部分もあると思うんですよね。
インタビュー後編
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写真/水野昭子
イラスト/Shutterstock
取材・文/ヒオカ
構成/坂口彩
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