叱ることに「意味はない」

 

巷ではよく、「怒るのはダメだけど、叱るのはいい」といった言説を耳にしますよね。感情に任せて「怒る」のはダメで、自分を律して相手のために「叱る」のはいいことだ、と。しかし本書によると、怒ることも、叱ることも、相手にネガティブな感情を与えるという点で同じだそうです。

ドラマなどのセリフでは、若者が「初めて本気で叱ってくれる大人に出会った……」(うるうる感動)なんてシーンがあります。自分のことを思って叱ってくれた大人に感謝する、みたいなシーンです。でもそのシーンを見て思うのは、重要なのは「叱られた」という事実ではなく、「正面から向き合ってくれた」という事実だと思うのです。別にそれは、心配して追いかけてきてくれたり、話をじっくり聞いてくれた、とかでもいいわけですよね。

村中直人さんの『〈叱る依存〉がとまらない』の特徴は、「叱ることに意味はない」と言い切っていることです。叱る側は、相手の行動を変えたい・課題を解決したいという目的があると思います。しかし本書では、その目的への効果は「ない」と伝えています。

 

即効性があるように見える“錯覚”


いやいや、でも叱ることで「相手が言うことを聞くようになる」「行動が変わる」と思う人もいるかもしれません。しかし、それは叱られた対象の反応として、目の前の苦痛を回避しようと、とっさの行動を変えたに過ぎません。そして叱る側からは、それを見て「反省した」という勘違いが生まれます。叱るという行為は、即効性があるように見えるため、効果的な行為だと“錯覚”してしまうそうなのです。


叱られた側のネガティブ感情が強く引き出されると、苦痛や恐怖で意識が満たされてしまいます。すると叱る側の思いとは裏腹に、その状況の原因には意識が向きにくくなってしまうのです。
――『〈叱る依存〉がとまらない』(P57)より

相手の行動を変えさせようと思った時に、本当に必要なのは「なぜその行動がいけないのか?」という理由を理解してもらうことではないでしょうか。そう考えたら、実は叱る必要はなく、説明して、教えることが必要なのではないでしょうか。