教育現場の「圧倒的な権力者」による〈叱る依存〉

「人は叱られてこそ成長する」は嘘、叱る行為は自己満足でしかない。今すぐ「苦痛神話」から脱却すべき理由_img0
 

「相手をコントロール」するという行為が起きやすいのは、スポーツや学校の教育現場です。村中さんは、こうした現場では「苦しまないと成長できない」「理不尽に耐えることが美徳」という考えが根底にあると指摘します。

学校の部活動などで起きた体罰が大きな問題となり、「体罰はいけないこと」という認識は社会に広がりました。しかし一方で、体罰を伴わないにせよ「厳しい指導」はいまだに支持され、もてはやされる現状があるのも事実です。

学校では「厳格な」というよりは、「独特な」校則やルールがあり、閉鎖的な空間の中で、教師という絶対的存在が「右が正しい」と言えば、たとえそれが校外に出れば滅茶苦茶なものだったとしても、否応なしに従わざるを得ない風潮があります。


教師は学校という場所における圧倒的権力者なので、学校には「他者を思い通りにコントロールする快感」に依存してしまいやすい構造があります。
――『〈叱る依存〉がとまらない』(P137)より

意味があるのかは置いておいて、とにかくルールを強制し、それに従わない人を叱るということは、叱る側が相手をコントロールしているという実感・自己効力感の充足を得られるという側面がありそうです。

 

「苦痛神話」からの脱却が必要


さらに村中さんは、「叱る依存」を手放すために、以下が必要だといいます。


「人は、苦しまなければ、変化・成長できない」という誤った、そしてとても根深い、苦痛神話とでも言うべき素朴理論からの脱却です
――『〈叱る依存〉がとまらない』(P161)より

なぜ、効果がない「叱る」という行為が、ここまで持ち上げられ、人間の成長に必要だという“錯覚”が生まれてしまうのか? その理由の一つに、この人は苦しまなければ・苦痛を与えられなければ成長できないという思い込み、勘違いがあるのかもしれません。

この思い込みが続く限り「そうはいっても厳しく叱ることは大事」という考えはなくならないでしょう。