真実は目に見えない
「母ちゃんと太一に聞いたよ、えらく忙しいらしいじゃん」
皇居の方に歩いていくと、ビルの一角にテラス席でまだ開いているバーが見つかって、俺たちは夜風に吹かれながら1杯やった。
「そうなんだ、すっかり期待されちゃって」
隼人は、ベルギービールを一口飲むと、グラスをそっとテーブルに置いた。数カ月前に会ったときよりも痩せて、顎のラインが鋭角になっていた。
「上司が厳しいんだって?」
俺ができるだけさりげなく尋ねると、隼人は少し微笑んで、オリーブを口に放り込んだ。
それ以上、口にするなという無言のサイン。それでも俺には確信があった。
誰も気が付かないなら、俺言わなくてはならない。
「なあ隼人……新しい部署で、パワハラを受けてるんじゃないか?」
隼人は何も聞こえなかったかのように、無表情でビールを飲み続けている。
「凄い上司の下についたって聞いたけど……凄い人がいい上司とは限らない。お前がそんなふうになるなんて、よっぽどのパワハラだろ? 休日出勤したり、土曜の朝の電話に飛びつくように出たり、いつも余裕があるお前じゃ考えられない。仕事の話を必要以上に太一や母ちゃんにしたのも、自分をなんとか奮い立たせるためじゃないのか」
「……っ、違うって。言っただろ、伝説的な役員で、ちょっと昔の価値観だからさ、しごかれてるんだ。兄貴にはわからないようなプレッシャーがあるんだよ、うちの会社は!」
隼人は、イラついて吐いた自分の言葉に、はっとした表情で口をつぐむ。
「確かにお前んとこみたいな凄い会社のことはよく知らないけどさ。お前の兄貴は28年もやってんだよ。目元もぴくぴく痙攣してるし、手も冷たくて顔色も良くない。精神的に追い詰められてるときのお前のサインだろーが。自分を粗末にしてんじゃねーよ」
励ますつもりだったのに、おかしな方向にいっている。わかっているけど……俺が、今日、言わないとならない。
優等生で、影ではだれよりも努力をしている弟に。誰にも弱音を吐けない、頑張り屋で意地っ張りの。
小さい頃から、なぜか俺だけがキャッチできるSOS。
「とりあえず、全部俺に言ってみろ。全部だ」
隼人の顔がみるみる歪んでいく。俺とはくらべものにならない上等な濃紺のスーツに、ぽたりと涙が落ちた。
小さい頃、誕生日に買ってもらったグローブを失くした日、可愛がってた犬がいなくなった日。あの時と何も変わらない泣き顔を、誰にも見られないように、俺はそっと弟の肩を抱え込んだ。
司法試験に3度連続で落ちたアラサーの彼女。失意のうちに街を歩いていると……?
構成/山本理沙
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