20代半ばの頃、僕は売れない営業マンだった。

人には向き不向きがあるもので、お給料をもらっておいてデカいツラして言うことではないが、僕に営業は向いていなかった。何がそんなに苦手って、お客さんに「買ってください」と言うことがどうしてもできなかったのだ。

営業には「クロージング」という工程がある。要は商談における「最後のひと押し」だ。契約に向けて顧客に意思決定を促す「説得」の場であると言ってもいい。これがめちゃくちゃ苦手だった。

決してクロージングは悪いことではない。顧客がどこに不安を抱いているか、決断を鈍らせている要因を探し出し、解消するというのはビジネスのプロセスとしてはむしろ正しい。じゃあなんでそんなに嫌だったかと言うと、答えを急くことでこれまでの信頼関係が崩れるんじゃないかという恐怖心もあったし、自分のやっていることが押し売りなんじゃないかという罪悪感もあった。

特に営業の場合、毎月、締め日というのがやってくる。月の売り上げがここで決まるので、見込みのある案件はなんとしてでもこの日までに申込書をねじ込みたい。だが、顧客にとってはこちらの締め日なんていうのは関係のないことで、思いっ切り自社都合だ。この自社都合をいかに顧客都合と思わせて締め日までに申込書を回収してくるかが、営業のちょっとした腕の見せ所だったりする。

 

 

ちなみに売っていたのは求人広告。だから、オーソドックスな手法は掲載時期を早めることで、これだけ広告効果が上がる可能性があるというシミュレーションを提示すること。でもあくまで広告である以上、効果を保証できるわけではない。だから、僕はいつもそうしたシミュレーションを説明しながら、どこか語尾が自信なく言い淀んでいた。

 

それこそ人によっては「今日が締め日なんです。僕を男にすると思って買ってください」と直球のお願い営業をするツワモノもいた。これなんかは一見ダサいなと思われるかもしれないけど、そう言えるだけの関係値を顧客と築いているということなので、案外悪くないと思っている。言うまでもないけど、僕には無理。そういう素直さとか可愛げみたいなものが1ミリもない人間なのだ。

「ヨコはさ、 “物を買ってもらうこと=悪いこと”だと思っていない? でも、お客さんは商品に価値を感じているからお金を出すんだよね? それを勝手に悪いことだと思うのは逆に傲慢だし、そう感じるってことは結局ヨコがお金を出してもらうだけの価値のある提案ができていないってことじゃない?」

締め日の当日、1枚も申込書を持って帰ってこられなかった僕に、先輩が言う。すぐ横では、締め切り時刻の5分前に申込書を客先からファックスで入れてきた営業が、まるで鬼ヶ島から帰ってきた桃太郎のように熱烈な祝福を受けている。僕は今月も「未達」のまま終わった営業数字を見ながら、つくづくこの仕事は自分に向いていないと、誰にも気づかれないようにため息を落とすしかなかった。


そんな昔話を思い出したのは、今まさに僕が「買ってください」の真っ只中にいるからである。

この連載をベースとしたエッセイ本『自分が嫌いなまま生きていってもいいですか?』が9月29日に発売となります。単著としては、これで3冊目。3冊目ともなると、さすがに「本を出す」だけで喜びに浸っていられるほど無邪気ではなく、いかに「本を売る」かというプレッシャーの方が正直言ってデカくなる。


本というのは残酷で、出しても売れなければ途端に価値が下がる。次の著書を出すのは難しくなるし、シンプルに気まずい。キャリアを上げる起爆剤にもなれば、一気に八方塞がりに追い込まれる諸刃の剣でもあるのだ。

 
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