世の中には「嘘か真実のどちらか」だけではない


――この映画では「コミュニケーション」と「嘘」みたいなものも心に引っかかったんです。二階堂さん演じる陽子は嘘が多い人だけど、他人や社会の嘘をすごく嫌っていますよね。でも誰かと関係を作ろうと思ったら、嘘ばかりでは決して相手の心には触れられません。でも登場人物たちが時に無邪気に、時に投げつけるように口にする「むき身の本音」ばかりでは、関係を築くことはできません。二階堂さんはそのあたりをどんな風に考えるかなと。

二階堂ふみさん(以下、二階堂):「話せば誰とでも分かり合える」というような完全体のコミュニケーションというのは存在しないと思うんですよね。同時に、「嘘=悪」と思われがちだし、「嘘をつかないこと」ってコミュニケーションの前提とされがちですが、それも状況によっては反転していくところがある気がするんです。

 

二階堂:世の中にあるものは「嘘か真実のどちらか」ではないし、「完全な黒」とか「完全な白」である人間も存在しないという認識なんですよね。だから言い方は違いますが、おっしゃることはなんかわかるような気がします。

 

――社会という観点ではどうでしょうか。社会もある程度は嘘がないと成り立たない部分もある。でもそればかりでは、問題の根本には迫れません。例えば映画のような施設が「誰の目も届かない森の奥」にあり、そこにある現実を部外者は全く知らない。中の人からすれば、部外者からの批判は「綺麗事」でしかないようにも思います。それに「誰の目も届かない施設」=「ないものとすること」は社会の嘘でもありますよね。

二階堂:でも当事者以外の人が「綺麗事」で反対をしちゃいけないのか? と聞かれれば、そういうわけではないなとも思うんです。きれいな世界にいるからこそ、突きつけられる言葉もあるだろうし。

どれが嘘でそれが本当かっていうのは、人によって違うと思うんです。声高々に「差別は良くない」という人たちの言葉もわかるし、それに同意もしますが、とはいえ、社会から差別も分断もなくならないという指摘もわかる。あとはもう、自分がどう折り合いをつけていくかってことしかないのかなって、今は思ってしまうんですよね。私自身は知らないことに対して、関心を持たない側の人間ではいたくないなと思うので、知ろうとする努力はし続けたいなと思うんですけど。

――でも世の中には多くのことに無関心な人も多いですよね。聞いたことはある、良くないとわかってる、でも眼の前にないことを意識しよう思う人は少ない、というか。

二階堂:私の父は障がいを持つ方たちの介護施設でお仕事をしているんですが、私は父が以前より素敵になったなって感じています。障がいを持つ方々と直接に接するようになって、さまざまなことに心を寄せるようになったんです。それは「こういう社会を変えなければ」といった大義名分のようなものではありませんが、父のように年齢を重ねた後でも、障がいを持つ方々が身近な存在になったことで、社会を見る目が変わった、見る部分が変わったことが、すごくいいなって。

地域によっては、障がいを抱えた方の介護施設ってあんまり見ないですよね。そのことは、ずっと考えていました。普通にいるはずなのに「いないもの」にされていて、そうやって社会が回っているような。なんで隠すのかなって思うんですよね。「見たい」ということでもないだろうけど、「見たくない」というほどでもないと思うんです。障がいを持つ方々に限らず、高齢者の施設とか、時に「声がうるさい」と言われてしまう幼稚園や保育園にも、同じようなことが言えるかもしれません。

 

二階堂:もっとコミュニティが雑多である方がいいのかなと思うんですよね。何が本当で何が嘘で何が綺麗事で、誰の何が誰にとって迷惑なのか、よくわからなくなるくらい雑多になってしまう方が、実は他者を受け入れるキャパシティって広がる気がするんです。

ちょっと真面目な話になってしまいますが、日本も格差社会になってきて、例えば経済的に恵まれた子供が通う学校と、そうでない子供の通う学校、あの地域の子供とは付き合わせたくないとか、そういう差別や偏見も世の中には普通にあって。そういう社会の中で「自分とは異なる環境の他者」を認識せず、違いを受け入れる機会を逸したまま成長した子供は、大人になった時に「何か違う」というものをどのようにして受け入れるんだろうと、時々考えさせられます。

そういう意味で、私は 沖縄で生まれ育ってよかったなと思うんです。地域におじいちゃんもおばあちゃんも子供もたくさんいて、10代でお母さんになった人もいれば、障がいを持った方もいる。私自身、彼らを特別と思ったことはなく、割と普通に受け止めていました。周囲もことさら「障がい者」として扱ってはいなかった。私の知る知的障がいの方は市場で働いていて、コミュニティの中できちんと居場所を持って生きていて。そのたくましさみたいなものに触れると、何が優れているとか優れていないとか、何が普通で何が普通じゃないとか、どうでもよいことに思えてきます。

――それは「嘘がないコミュニティ」という感じがしますね。

二階堂:やっぱり社会が「いないこと」にしてしまうことだと思うんです。そういう嘘はつきたくないなとは思います。連載をもっていて、アニマルライツやアニマルウェルフェア、人権、フェミニズム、環境など、いろいろなテーマでいろいろな方にお話を伺っているんですが、全てに共通して言えるのが「ないことにされているもの」がすごく多いんですよね。

――その連載は、どういう思いで始めたんですか?

二階堂:「私はこう考えるし、これが正しいと思う」と声高に主張するためではなく、私を知ってくださっている方々がそうした問題を知るきっかけになったらいいなと思ったんです。ありがたいことにいろんなゲストの方に来ていただいて、毎回、私もそこで学びをいただいます。

でも、ご出演頂いたゲストの方々の意見に、私が100パーセント同意しているわけではないんです。でも「そういう見方もあるんだ」と知ることで、社会をより多角的に捉え、物事を立体的に見ることができるようになれば、誰かに寄り添えるようになるし、そういう人が増えれば、大きな話ですが、戦争もなくなる気がするんです。