「頑張る」昭和的価値観から抜け出すことの難しさ


――親も、ですか。

不登校で変わったのは私さん:私は、子どもが不登校になったことで自分を振り返る機会を持つことができたんです。

自分が10代の頃には偏差値至上主義の時代で、受験勉強では「頑張れ頑張れ」と言われて育ってきました。昭和って、勉強だけでなくスポーツでもスポ根、根性の世界でしたよね。学校でも先生が生徒を殴る体罰なんて普通でした。
そんな昭和の「努力・根性」の感覚でずっと生きてきたけれど、令和という今の時代は全然違うんですよ。昔のままの価値観で育てようとすると、子どもが潰れてしまう。


スマホすらなかった時代に育ってきた私が、令和に生きる子どもたちを育てるには、昭和の「とにかくがんばれ」という価値観ではなく、考え方をブラッシュアップしないといけないと思ったんです。

先生でも今だに昭和的価値観を持っている方もいますが、親の方もそこから抜け出さないといけないんだなと、子どもが不登校になってみて感じました。

でもなかなか抜け出せないんですよ。

どうしても自分が昭和的価値観でこれまで頑張ってきたから、学校に行かれない子どもを許せない。「私は頑張ってきたのに、なんであんたは頑張れないの。私はこれまで頑張ってきたから今がある。あんたも頑張らないと将来ダメになっちゃうよ」って思ってしまうんです。その考え方を崩さないと、子どもを受け入れられないとわかってはいるんですけれど、自分を変えるのは大変でした。

――そうですよね。「頑張る」ことを否定するのは、それまでの自分を否定することに繋がるからなかなかできないですよね⋯⋯。

不登校で変わったのは私さん:ほんとそうだと思います。10代では勉強、20代では仕事や結婚を、30代では出産・育児をずっと頑張ってきた自分がいるから、子どもに「もう頑張らなくていいよ、好きなことだけしていたって大丈夫、それでも生きていけるよ」って言うのは難しい。「じゃあ、今まで頑張ってきた私って何だったんだろう?」って思ってしまうんです。

「今までこんなに頑張って子育てしてきたのに」という思いに気づいた

あと、他人の目を気にしている自分にも気づきました。「他の子はみんな学校に行っているのにうちの子だけ行けなくて恥ずかしいな」とか、「周りのお母さんたちにはうちの子のことはどう思われているんだろう」と思っていました。あの、不登校の子を持つ親って、夏休みになると安心するんです。他の子もみんな学校に行かないから。昼間、子どもが外を歩いていても何も言われないし。


――昭和的価値観や、他人の目が気になるというのは、私たちミドルエイジ世代の中に根深く残っているものかもしれませんね⋯⋯。最後に、不登校のお子さんを持つお母さんたちに向けたメッセージをお願いします。

不登校で変わったのは私さん:私は自分をすごく責めちゃったんですよね。「私の育て方が間違っていたんだ」「あの時、子どもにあんなに厳しくしたから学校に行けなくなってしまったんだ」とか、逆に「甘やかしすぎて、こんなに甘ったれた子になってしまったんだ」とか。これまでの自分の子育て全てを責めてしまったんですけれど、自分を「ダメだ」と責め続けていると、子どもにも「ダメだ」って責めるようなことを言ってしまうんです。

だからまず、自分で自分をねぎらうようにしてほしいです。

自分自身に「いや、よくここまで頑張って子どもを育ててきたよ。とりあえず子どもを10代まで育ててきたんだからいいじゃない。」って言ってあげてほしい。
お母さんが自分自身を認めるようにすると、不思議と子どもに対しても「あなたもよくここまで頑張ってきたじゃない」とか「まあ、これもうちの子だよね」と認められるようになれるんです。

あとは、自分と子どもとの間にうまく「境界線」を引くことですね。母子ってどうしても一心同体になってしまって「子どもがダメなのは私のせいだ」ってなりがちなので、「私はこのままでいいんだ」と思ってみてください。


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文部科学省が言う「不登校」には含まれない不登校のお子さんがたくさんいるという事実、あなたは知っていましたか。変わらなければならないのは子どもたちではなく学校や国=私たち大人の方だというのを実感しました。もし、皆さんが当事者でないとしても、近くにお子さんの不登校で悩んでいる方がいらっしゃったら、「不登校で変わったのは私」さんのアカウントをどうか教えてあげてください。

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次回の「SNSで見つけた『バズり人』さん」もお楽しみに!
 

写真/Shutterstock
構成・文/大槻由実子
編集/坂口彩

 


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