障害者を殺すことと、中絶することは同じなのか


そんな中でも、さとくん(磯村勇斗)という職員は、唯一と言っていいほど、前向きに仕事に取り組んでいます。入所者のために紙芝居を手作りして読み聞かせをしたり、「きーちゃんに月を見せてあげたい」と部屋の壁に月の形に切りぬいた紙を貼ったり。でも、そんなさとくんの前向きな努力も、他の職員からは無駄だ、余計なことをするなと言われてしまいます。さとくんは、後に多くの入所者を殺害するという凶行に及ぶことになります。

洋子は以前、息子のしょういちを3歳で病気で亡くしています。しょういちは病気により寝たきりで意思疎通ができず、胃ろうで栄養を摂っていました。洋子は息子を失った悲しみから立ち直れない中、自分が妊娠したことを知ります。40歳を過ぎてからの妊娠ということもあり、再び子どもに異常が見つからないか不安に駆られる洋子は、また同じ思いをしたくないという気持ちから、夫に妊娠の事実を告げずに中絶を選択しようとします。妊娠したことを陽子には打ち明けるのですが、夫とさとくん、陽子と4人で飲んでいるときに、陽子が洋子の妊娠と、産むか決めかねている事実を話してしまいます。

「障害者は子どもを産むな」「障害者は社会にいらない存在」映画『月』があぶりだす、誰の心の中にも存在する優生思想_img0
写真:Shutterstock

ある日、さとくんが洋子に言います。「僕は洋子さんと同じ考えです」と。
自分が持つ「無駄なものは排除しないといけない」という考えが洋子と同じだ、というのです。子どもが異常を持って生まれることを恐れて中絶しようとした洋子と、障害者を殺そうとする自分の考えは同じだ、という意味なのでした。「人を傷つけるのはいけない」と諭す洋子にさとくんは言い放ちます。

「人って何ですか」

 


心がないなら生きる意味がない、生きる価値がない。
さとくんの中では、しゃべれない、意思疎通ができない重度障害者には心がない。だから人間ではないし、だから殺してもいい、という論理が成り立っています。心がない障害者を殺すのは、虫を殺すのと同じだと言うのです。だから実際さとくんは入所者を殺すとき、しゃべれるかどうかを、手にかける判断基準にしました。