「昔の妻を返せ!」成長した妻を受け入れられなかった夫
関係的にはまだ夫婦の2人。家に残した荷物や、夫いわく家賃の対象になる家具、適宜発生する公的書類などの業務連絡のため紗奈さんは夫に何度か連絡をしましたが、LINEなどのSNSは既読にならず、電話はもちろん、メールなども一切返事がなくなってしまったそう。
離婚をしないためには、何もしないのが一番。それをわかったうえでの夫の戦略と思われます。
「調停には時間も労力もお金もかなり使ったので、不成立で終わったあとはどっと疲れが押し寄せました。そして最初にも言った通り、夫が音信不通になってからは、何だかすべてがどうでもよくなってしまったんです。
私は夫の監視から自由になりたい、彼は離婚したくないという平行線で散々争っていましたが、そこだけ切り取れば、変な話ですが今の状態は2人の希望が成り立っているし……」
紗奈さんの言葉にハッとさせられました。たしかに理想には程遠いものの、最低限の望みはお互い同時に叶っているのかもしれません。
けれど、紗奈さんも夫もまだ若く、例えば既婚という状態ゆえに次の恋愛に進めないなどの弊害もあるのではないでしょうか。
「夫は私の異性関係も疑っていましたが、少なくとも今の私は、恋愛や結婚に自分でも不思議なほど興味がないんです。仕事が楽しいし、同僚や友人関係も良好なせいか、その類のことは本当にどうでも良くて。
ただ、やっぱり私も悪いと思っています。夫と出会ったとき、私は30歳を過ぎて正直焦っていました。結婚できなければ『行き遅れ』になるし、結局、素敵な男性との結婚が女にとっては唯一の正解、幸せになるための選択だと感じていました。
大企業勤めで出世頭、真面目な夫に結婚向きの彼女だと思ってもらえるよう、私は家庭的に振る舞い、婚活メイクや婚活ファッションも何となく意識して……晴れて結婚できたあとは、家のことをしっかりやって、必要以上にかわいい奥さんに徹していました。実は、子どもも早く作らなければと焦り不妊外来に通っていたこともあります。当時は無意識でしたけど、そんなふうに猫をかぶっていた嫁が変わって、彼が戸惑っても仕方ないですよね」
前編で、紗奈さんは転職後に同僚や仕事で関わるアーティストの影響で価値観が変わったと仰っていました。常識やルールに囚われず自由に生きる姿に衝撃を受けることも多く、紗奈さん自身の思考もだんだんと世間一般的な常識から解放されていったよう。
「就職、結婚、出産などをクリアしないと幸せになれないと思っていたけど、無理に囚われる必要はないんだと気づいて楽になったんです。同時に仕事が本当に楽しく熱中していたので、夫が『昔の紗奈を返せ!』としょっちゅう激怒していたのも仕方ないのかもしれません。本当は、あの頃に夫が応援してくれたら嬉しかったですが。
このままの状態を永遠に続けたいわけではないので、いつかは離婚裁判などするかもしれません。ただ現実、今は存分に仕事をして楽しい日々を過ごせているので、何だか結婚制度とかそいういうものについて、深く考えるのをやめてしまっています」
お話を聞いていると、紗奈さんは仕事を通して、ある種の覚醒のようなものを経験したのかもしれません。
これまで常識的に幸せの形と信じていたものが、実は自分にはさほど必要でなかった。むしろ潜在的に求めていたのは自由、多数派に馴染んで安定することよりも、個性を発揮し自己実現を叶えることに強い憧れや情熱を持っていたように感じます。
昨今、離婚理由のほとんどが「性格の不一致」と言いますが、夫婦とはいえ、2人は他人。もともとは相性が良かったとしても、年月や経験を重ねる中で、夫婦が同じ価値観をずっと持ち続けることは簡単ではありません。
夫の「昔の紗奈さんを返せ」という発言は、嫌味などではなく、おそらく彼の本心なのでしょう。ですが、夫であったとしても、彼女の成長を止めること、また足並みを揃えることもやはり難しいのです。
そんなときにお互いを尊重して支えられる夫婦は理想ですが、離れてお互いに別の道に進むのも前向きな選択だと思います。
「離婚に進むとしたら、また一波乱あるかもしれない」と紗奈さんは笑っていましたが、今後も彼女らしい道を進めるよう、陰ながら応援しています。
取材・文・構成/山本理沙
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