東京・神田駿河台。坂の上にある、客室数わずか35室の小さなホテル「山の上ホテル」。
川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、田辺聖子、そして先日亡くなった伊集院静ら多くの作家たちが愛したホテルとしても有名です。その「山の上ホテル」が、10月に休館を発表。個人的にもたくさんの思い出があるホテルに最後のご挨拶をしてきました。
※撮影はホテルに許可をいただいたうえで行っております。
第二次世界大戦を乗り越え、オープン
「山の上ホテル」の建物は、1937年に竣工。福岡の炭鉱商・佐藤慶太郎が私財を投じ、生活研究施設「佐藤新興生活館」としてこの地に誕生しました。「佐藤新興生活館」とは、「衣食住の向上こそが、明日の心身の基盤になる」という佐藤氏の信念の元、生活の向上を先導する女性たちに調理や被服、住居や生活芸術といった教育を施す“家政学校”のようなものだったと言います。しかし、時代は第二次世界大戦へ。戦時中は海軍に徴用され、戦後はGHQが接収。陸軍婦人部隊の宿舎となりました。その当時の呼び名が「HILLTOP HOUSE」。そして1954年、ホテルの創業者である吉田俊男がこの呼び名を意訳して「山の上ホテル」と名付け、オープンしました。
「ねがはくは、ここが有名になりすぎたりしませんやうに」(三島由紀夫)
古書店街があり、大小さまざまな出版社が集まる神田神保町に近かったため、その後「山の上ホテル」は多くの作家たちに愛されます。創業後、初めて宿泊した作家は川端康成。三島由紀夫に至っては「東京の真中にかういう静かな宿があるとは思わなかった。ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに」という言葉とともにホテルへの思いを遺しています。三島由紀夫の「自分だけの“とっておきにしたい”」という気持ちが文面に現れていて、微笑んでしまいますよね。
1980年代には池波正太郎がここを常宿とし、田辺聖子は大阪から出てくるたびに“東京の別宅”のように泊まったと言います。
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