従順で貞淑な女性を書こうとして「こんな女性、いる?」と(笑)

――本作には、コロナ禍と重なるような流行病の描写もあります。自分たちとは状況が違う、でも通じるところも多いそのエピソードには、いろいろと考えさせられました。

歴史の教科書に載るほどの過去に起きたことって、結果が見えているんですよ。鬼卵も定信も、どういう人生を送って、どんな終わり方をしたのか、わかっている。全員にとって等しく遠いことだから、読者は自分と重ね合わせすぎず、心の鎧をはずして読むことができるんじゃないかと思います。私自身、時代小説のほうが書きやすいんですよね。史実の隙間を埋めるように想像していると、思いがけないセリフが、自然と浮かび上がってきたりもする。

――今作では、たとえば。

「わては大坂ではもう、芽が出ませんか」と鬼卵が訪ねたときの、「知るかいな、そんなこと」という蒹葭堂のセリフとか。頭で考えているときは、大丈夫だよとか、慰めの言葉をかけるような気がしていたけれど、いざ筆をとってみたらあたりまえのように「知るかいな」って(笑)。あとは、朱子学で世のルールを統一しようとする定信の思想は、現実ではフリーランスの立場にある私にとっては反発すべきものだけど、為政者としての彼がその道を選択するのはわかるな、とごく自然に想像できるのも、少し離れた場所から時代の様相を見つめることができるからじゃないかと思います。あとは……もともと歴史の分野って、研究者も作家も男性が多くて、女性を没個性に描くものが多かったんですよ。

――三歩下がってついていく、夫に従順なイメージが確かに強いですね。

私自身、そのイメージに引っ張られて、従順で貞淑な女性を書こうとしてしまったことがあるんです。でも途中で「こんな女性、いる?」と思ってしまった(笑)。時代によっては、意思をもたないようにふるまうことが望まれ、多くの女性はそうすることが上手だったかもしれないけれど、本当に意思を持たない人間なんていないでしょう。裏で糸を引いていることもあるだろうし、資料では捨てられたことになっている女性も、よくよく読んでみたら「逃げただけでは?」と思う方が自然なケースもある。心中と美しく描写しているけど、ただのストーカー殺人じゃないか、というものも。今は女性の研究者も増えて、新しい解釈で歴史をとらえなおすことも増えてきた。私も先入観にとらわれず、多様に解釈しながら、これからも歴史小説を書いていきたいと思っています。

新聞記者から直木賞作家へ、永井紗耶子が物語に込める思い「書けない時期は別の仕事もしたけれど、そのまわり道が無駄だったかといえばそうではない」_img0
 


インタビュー前編
「永井紗耶子「正しく立派なイメージがある人も、資料を読むとけっこうめんどくさいおじさんだな、と(笑)」直木賞作家が時代小説で描くもの」>>

 
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書籍紹介『きらん風月』永井紗耶子・著 講談社・刊 1980円

家督を息子に譲り隠居生活を送る松平定信は、旅の途中、日坂の宿の煙草屋で栗杖亭鬼卵と出会う。鬼卵が店先で始めた昔語りは、やがて定信の半生をも照らし出し……。2023年『木挽町のあだ討ち』で直木賞、山本周五郎賞をダブル受賞を果たした今最も注目される時代小説作家、受賞第一作。


撮影/森 清
取材・文/立花もも
構成/山崎 恵
 

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