「ビシバシ育てないとダメだ」という逆流ムーブメント

若手は「ホワイト過ぎて辞める」のではない。常識が転換した、正解がない時代を生きる若者の苦悩_img0
写真:Shutterstock

——以前、リクルートワークス研究所がおこなった大手企業の若手社員に対する定量調査を元に、「若者がホワイトすぎて職場を去る」「ゆるすぎて辞める若者が増えている」という報道が繰り返しされて、大きな反響を呼びました。「ホワイトすぎて辞める若者が増えている」のあとに、「叱られたことがない若者が〇割」というデータもセットで取り上げられ、「叱られたことがない若者はけしからん」という上の世代をすごく触発しました。

取り上げられるエピソードも「若者が甘やかされている」みたいな方向に誘導するものばかりで、短く煽るような見出しをつけて、ミスリードを誘いがちなメディアの悪い癖が出たなぁ、と感じました。やはり世間の反応としても「今の若者は叱られたことがない、根性なしだからすぐ辞めるんだ」みたいなコメントが散見されて、「昔は厳しくしごかれたからみんな一人前になれた」といった、懐古主義的な方向に行ってしまいました。この流れをどうご覧になっていましたか?

古屋星斗さん(以下、古屋):一連の報道で、大きく二つの反応がありました。ひとつはキャリアが多様化した正解のない時代を生きる若者や、若者と接するマネージャー層からの「現代の若者が抱えるキャリア不安」への共感です。もう一つは「昔は良かった」というある種の懐古主義で、「ほら言っただろ。ビシバシ育てないとダメだ」「叱ることに慣れていないからすぐ辞める」といった声でした。

びっくりしましたし、そういう反応は全然本意じゃない。長時間職場に囲い込んで、ビシバシ育てるみたいな、僕の本で言うところの「ふるい職場」に戻すという逆流のムーブメントを起こしてしまうんじゃないかと懸念しています。

本の中でも、「本書の筆を取った目的は日本の職場を『ふるい職場』に戻すことなく『ゆるい職場』時代の新しい育て方を確立するための方向性を示すことで、社会議全体の議論を前に進めることにある」と書きましたが、「昔の職場に戻せばいいということではない」ということは何度でも伝えていかなければと思いました。

 


理想は「ゆるい職場」に「キャリア安全性」が加わること


——古屋さんは、若手を取り巻く職場の状態を「心理的安全性」、「キャリア安全性」の高低をもとに、4つに分類されていますよね。

【参考】現代の若手を取り巻く職場の状況(概念図)

若手は「ホワイト過ぎて辞める」のではない。常識が転換した、正解がない時代を生きる若者の苦悩_img1
(出所=リクルートワークス研究所)


「ゆるい職場イコールホワイトではない」と本では書かれていますが、ゆるい職場とは、この表で言うと、③の心理的安全性は高いけれど、キャリア安全性は低い「Loose」な職場に当たりますよね。

これを見ると、若者は「ホワイト過ぎて辞める」のではなく、「キャリア安全性のなさ」から会社に将来性を感じられず不安になって辞めるということですよね。それなのに、まるで「ホワイトでクリーンな環境では若者は成長できない」みたいに受け取る人が多かった印象です。

※キャリア安全性…“自身の現在・今後のキャリアが今の職場でどの程度安全な状態でいられると認識しているか”を捉える尺度 

古屋:おっしゃる通り、心理的安全性が高く、無駄な残業をさせない会社でも、キャリア安全性が低いのが「ゆるい職場」です。一方、真のホワイト企業は心理的安全性が高く、キャリア安全性も高い。ただ労働環境が改善されているだけではホワイト企業とは言えないんです。そして、単なるきつい職場を最近「ふるい職場」と呼んでいるのですが、長時間残業でビシバシ鍛えるというのは「ふるい職場」に過ぎなくて、まだ「ゆるい職場」にすらなれていない。

もっと噛み砕くと、「ゆるい職場」は「ふるい職場」の進化形態。つまり、猿人からネアンデルタール人になった、みたいな感じです。「ゆるい職場」も、まだ進化の過程に過ぎないと考えています。「ゆるい職場」に「キャリア安全性」が加わって、初めて理想的な職場になると思っています。