幸い、私の勤め先では当時、子どもが小学3年生の年度末まで時短勤務が認められていました。そこで、娘が小学校にあがっても短時間勤務を続け、私が朝、学校まで連れていくことにしたのです。

【障がい児を育てながら働く⑨】父親を「認知」できなくなってしまった娘。そして日々綱渡りな、学校→放課後等デイサービスへの「移動手段の確保」_img0
愛育学園の、通信簿がわりのアルバムより。興味津々でニワトリに触れている娘。

—— 電車やバスなど、公共交通機関を利用されたのですか?

朝の登校時間帯の電車は混んでいて、娘が声をあげたり、乗客を触ったり、落ち着かなくなるので、私が運転する車で連れて行きました。

土曜日は、保育園がお休みの次女も連れて登校し、学校近くでお迎えまで過ごしました。次女は姉たちが楽しそうに過ごす愛育がうらやましくなり、私も小学生になったら行きたいと言うようになりました。

 


—— 時短勤務とはいえ、下校が午後1時半ですと帰りは付き添えませんよね。

はい、そのため、下校時はヘルパーさんなどに送迎をお願いしました。

帰宅するためのルートは何パターンか考えられましたが、私が同じ時間帯に実際にバスや電車に乗ってみて、決めました。

ちょうど別の学校の下校時刻が重なって車内が混雑し、娘が落ち着かなくなったり、その他さまざまな要因が気にかかったりして、何度かルートの見直しが必要だったのです。


—— 小学校が終わったあとの時間、どのように過ごされていたか教えてください。

下校後は、希望していた放課後等デイサービス(放デイ)に通えることになりましたが、月曜と火曜は連れて行ってくれるヘルパーさんが見つかりませんでした。

そのため、月、火は放デイには行かず、保育園のころにお願いしていたシッターさんに学校へのお迎えをお願いし、その後は家で過ごしてもらうことにしたんです。

保育園時代と同じように、学校へのお迎えをお願いし、電車やバスに乗って
小1時間かけてゆっくり帰宅。その後は、お家でおやつを食べたり、お散歩に連れて行ったりしていただきました。

いま振り返ると、学校へ通うという非常に大きな環境の変化があったなかで、「週の始まりは慣れ親しんだシッターさんと、自宅でのんびり過ごす」ことができたのは、娘にとっても良かったのではと思っています。