猫と一緒に暮らす人にとっては、家族のように大事にしている猫と1日でも長く暮らせるのは幸せなことです。その一方で、猫も飼い主も年齢を重ねていくことになります。

それでも、猫とともに暮らしてきた時間はかけがえのないものですし、シニアになった猫だからこそ、愛着もひとしおです。そこでミモレでは、シニア猫(ここでは10歳以上と定義)と暮らす人たちのお話に耳を傾けてみようと思っています。

今回は、保護猫出身の20歳の猫と暮らす、出版社勤務の女性の物語。16歳の時に甲状腺機能亢進症と、腎臓の数値がよくないことが発覚。2年後の2021年には余命宣告を受けてしまいました。それでも「この子ができなくなったことを、私が何でもやってあげる」という一心でできることを何でもやっていたところ、少しずつ食欲を取り戻し、2024年になった今も頑張っています。5月には21歳を迎える猫との日常はどのようなものなのでしょうか。

余命宣告を受けた20歳猫がくれた、心の平安【シニア猫のお話】_img0
現在20歳のテス。老いてますます可愛いと思える猫の不思議。この帽子は意外に嫌がらずに、お気に入りになっている(写真:Hさん、以下同)

<飼い主プロフィール> 
Hさん(50代)
出版社勤務。幼少期から動物が好きで、家で猫は飼っていなかったものの、よく野良猫をかわいがっていた。大学時代に知り合いに「野良猫をもらってくれない?」と言われて、初めて猫を飼うことに。現在一緒に暮らすテスは保護猫出身で、譲り受けた当時は結婚していたが、その後離婚し、テスはHさんが引き取ることに。

 

<同居猫プロフィール> 
テス(20歳)
立川生まれの保護猫。キジトラ柄のメス。Hさんがインターネットで里親募集の情報を見つけて一目惚れ。お見合いの日、Hさんの膝の上に乗っておもらしをしたことから、保護主さんに「この子がHさんのことを選んだんだね」と言われ、譲渡が決まる。ものすごい人見知りで他人には姿を見せないが、Hさんには甘えん坊。年を重ねるにつれ、さらにベタベタに。名前の由来は、ナスターシャ・キンスキー主演の映画『テス』から。ナスターシャ・キンスキーのように美しく、素敵になってほしいという願いが込められている。


〈歴代猫プロフィール〉
ゴンザレス(8歳没)
Hさんが大学時代に東京で一人暮らしをしていた時、バイト先で猫好きな人の母親が保護した子猫を譲り受ける。茶トラ柄のメス。当初、男の子と勘違いしていて、「ゴンザレス」と名付けてしまう(通称ゴンちゃん)。名前の由来はミュージシャンの「ゴンチチ」から。9歳で急性腎不全が発覚した時には手の施しようがなく、あっという間に亡くなってしまう。

ハナ(5歳没)、テン(10歳没)Hさんがゴンザレスを亡くして悲しんでいる時に、知り合いから「捨てられている猫がいるんだけど、見に来ない?」と声をかけられる。飼うつもりはないまま家に行くと、兄弟猫のハナとテンがいきなり飛びかかってきてHさんから離れず、情が移って飼うことに。どちらも茶トラ柄のオス。2匹をもらった時は実家にいたHさんだが、結婚が決まって上京することに。2匹を一緒にかわいがっていた母が「連れていかないでほしい」と懇願し、実家の猫に。ハナは交通事故、テンは腎臓病でこの世を去る。
 


私が小さい頃、大きな野良猫を抱えている一枚の写真があります。実家で猫は飼っていなかったけど、動物や猫は好きだったんだと思います。大学進学を機に東京で一人暮らしをしている時に、知り合いから譲り受けた猫がゴンちゃんです。20代後半の頃、実家に戻っていた時期があり、その時にゴンちゃんの急性腎不全が発覚しました。ご飯を食べなくなったので病院に連れて行った時には、もうかなり悪い状態だったのです。即入院になり、毎日お見舞いに行っていたのですが、ケージの隅っこにいるゴンちゃんが絶望してしまっているように見え、覚悟を決めて家で看取ることにしました。

余命宣告を受けた20歳猫がくれた、心の平安【シニア猫のお話】_img1
野良猫を抱っこしてはご満悦だった幼少期のHさん

ある日の朝、もうほとんど動けなくなっていたゴンちゃんが私のベッドの上に飛び乗って、私の真正面に立ち、「にゃー」とひと鳴きしました。私はゴンちゃんが元気になったのかと思ってうれしくなって、いっぱい撫でてやってから勤務先に行きました。でも、ゴンちゃんは私が働いている間に、息を引き取りました。きっと最後の力を振り絞って挨拶をしてくれたのだと思います。死に目に遭えなかっただけに、朝のことを思い出し、亡き骸を抱えて、号泣しました。

余命宣告を受けた20歳猫がくれた、心の平安【シニア猫のお話】_img2
20代で初めて責任を持って飼い始めた初代猫のゴンザレスことゴンちゃん。20代を共に過ごした愛すべき存在だが、急性腎不全で9歳を迎える前に旅立ってしまう

ゴンちゃんは私にとって初めての飼い猫で、病気に対する知識も少なく、何もしてやれなかったという後悔の念が大きく、それは今も心に残っています。

実家ではその後、ハナとテンという兄弟猫を譲り受けます。大事に育てていたのですが、私が結婚することになり、再び東京で暮らすことになりました。本当は2匹を連れて行きたかったのですが、母もハナとテンをかわいがっていたので、「大事に育ててね」と母に託すことにしました。

余命宣告を受けた20歳猫がくれた、心の平安【シニア猫のお話】_img3
2代目の兄弟猫。右の白っぽいコがお兄ちゃんの「ハナ」、左の茶が濃いコが弟の「テン」。ハナちゃんは物おじしない人なつこい性格、テンは超人見知りのビビりさんで、兄弟でも性格が全く違っていた

東京で再び暮らすようになって1年くらいは猫のいない生活を送っていました。でも、20歳の頃からほぼずっと猫と一緒だっただけに、猫の温もりを忘れられず、やっぱり猫を飼いたいと思うようになりました。インターネットで里親募集の情報を見ていたところ、小さいキジトラ柄の猫に一目惚れをします。それが、いま20歳のテスです。立川生まれの保護猫で、立川までお見合いに行き、私の膝の上でおもらしをしたご縁でうちの子になりました。この時はまだ約1ヵ月の小さい子猫でした。

余命宣告を受けた20歳猫がくれた、心の平安【シニア猫のお話】_img4
1歳の頃のテス。小さい頃の方が身体の模様がくっきりしている。この頃から甘えん坊だった

テスが来て3年後に離婚することになりました。テスは私が引き取り、1人と1匹の生活が始まりました。

 
  • 1
  • 2