神聖視するのでもなく、蔑視するのでもなく
 

昭和12年、初めての高等試験に臨んだ寅子たち。しかし、同じ女子部の同級生は全員不合格。唯一、筆記試験を突破し、口述試験に辿り着いたのは、1期生の久保田(小林涼子)のみ。その久保田も口述試験で不合格となり、女子部は全員悔し涙を呑む形となりました。

『虎に翼』「男か女かでふるいにかけられない社会に、みんなでしませんか」寅子の呼びかけに私たちはどう応えるか【第5•6週レビュー】_img0
©︎NHK

「自信があったんです、筆記試験。受けた5人全員がかなりの手応えを感じていたはずなのに」と疑問を口にする寅子に、桂場(松山ケンイチ)は言う。

「まだそんな甘っちょろいことを言ってるのか。同じ成績の男と女がいれば、男を採る。それはしごく真っ当なことだ」
 

 


男だからと下駄を履かされ、女だからとハードルを上げられる。その結果、権力の中枢にいるのは、いつも男たち。重要なことはすべて男が決め、女には決定権どころか、会議のテーブルにつく機会さえ認められない。この不均衡は、決して能力差によるものなんかじゃない。女にだけ扉が閉ざされていたから。男の狭き門と、女の狭き門では、狭さが違うから。しかも、その狭さというのは男たちによって恣意的に狭められたものであるという理不尽を、『虎に翼』は容赦なく白日に晒します。

また、口述試験に挑戦した久保田は試験官から「今後、結婚の予定はあるのか」と尋ねられたと明かす。現在、就職試験において、結婚や出産の有無を尋ねることは、男女雇用機会均等法に抵触するため認められていません。が、実際のところ、面接で結婚や出産の予定を聞かれた人は少なくないでしょう。しかも、女性だけ。

「入社してすぐ産休や育休を取得されては困る」というのが、おおよその企業の言い分。でも、産育休は労働者の権利であって、ワガママを言っているわけではありません。なのに、お荷物扱いをされる。90年経った今も、取り巻くものは何も変わりません。

翌年、二度目の挑戦で難関を突破した寅子は、ついに日本初の女性弁護士となる。その瞬間、世間は寅子たちのことを時代の寵児扱い。変わり者の魔女として白眼視されていたはずが、新聞紙面は「法廷に美しき異彩」ともてはやします。

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けれど、この見出しがすでに偏見に満ちあふれている。なぜ女性にスポットが当たると、メディアは「美しき」と容姿に言及するのか。「異彩」という言葉も、女性がイレギュラーな存在であることをほのめかしています。

美人で有能な女性だけが、男社会の仲間として認められる。あくまで特別扱い。でも、寅子たちが求めているのは、そんなことじゃない。今でも秀でた功績を残した女性に対し、「現代のジャンヌダルク」などとキャッチコピーをつけたがるけど、神聖視するのでもなく、蔑視するのでもなく、同じ人間として、平等に、ごく普通に扱ってほしいだけ。だから、寅子は祝賀会の場で言います、「私たち、すごく怒っているんです」と。


「生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない、男か女かで篩にかけられない社会になることを、私は心から願います」

男性と同じ試験を受けているのに、女性というだけで弁護士にはなれても裁判官や検事にはなれない。一緒に過ごした金蘭の友は、大半が試験さえ受けられなかった。唯一受験ができたよね(土居志央梨)は、男装を「トンチキな格好」と言われ、反論したことがマイナスに働いた。みんなが男性だったら、試験に受かっていたかもしれない。自分が弁護士になったからといって、何か社会が変わったわけではない。


『虎に翼』は日本初の女性弁護士誕生の物語ではありますが、決してそこがゴールでもクライマックスでもないことが、はっきりと打ち出されました。寅子の闘いは、ここからが本当のスタート。頑張れ寅子、と心の底からエールを送りたいです。