想像力が至らないのは、誰だって同じ

【坂口涼太郎×ヒオカ】恥をかきながら、誰かに「捧げる」ものをつくる——表現すること・書くということ_img0
「今日も、ちゃ舞台の上でおどる」の写真撮影が、5.8畳の坂口さん宅で行われた話題も。スタッフ6名がぎゅうぎゅうになりながら撮影し、その後、坂口さんが「豚汁を炊き出し」したそう!

坂口:ちなみにヒオカさんって、社会の問題を微細にキャッチして自分の意見を伝えているじゃないですか。それって、意識してキャッチするようにしているんですか?

ヒオカ:いえ、実はそれは悩みでもあるんです。普通の人は、外の世界の出来事とある種の「膜」があると思うんですけど、私はそれがあまりないというか。だから、誰かが書いた記事に共感してボロ泣きもしますし、誰かの発言でとことんしんどくなってしまうこともある。もっと鈍感になれたらいいんですけど。

 

坂口:感受性ですよね。すごいことだよね。『死ねない理由』の「心と体」の章でも、それは感じた。「殴られていなくても、〈虐待被害者〉だと気づく。」とかもそうですし……。

ヒオカ:ただ、「心と体」の章でも書いたんですが、私はこれまで「想像力を持ちましょう」みたいなことをすごく言ってきたんです。でも、相手がどういう状況かを察知することって、実はすごくいろんな能力を使っているんだなと気づいて。観察したり、把握したり、自分の引き出しの中から「今はこういう状況だ」と理解することって、実は経験もスキルも要るし、性質によるところも大きい。「あなたは想像力が足りてません」と言って批判するのも、実は暴力的なのかもしれないと感じていて。

坂口:私もヒオカさんの本を2冊を読んで、自分の想像力がいかに行き届いていないか、足りていないかをすごく痛感したわけだけど、誰でもそうやと思うねんよ。全てにおいて行き届いている人はそういなくて。自分が生きてきた人生の中での出会いとか、経験からしか得られないものはあって、一方ではそれだけじゃ補えないものもある。

だから私が見つけてきた方法は、こうして本を読んだり、映画やテレビのドキュメンタリーを見たりすること。足りていない想像力を補うのって、そういうことなのかなって思ってる。