母を亡くした彼女の理想
20代で男の子が立て続けに生まれて、とても嬉しかったけれど、私は大きな決断を迫られた。どうしても女の子のママになってみたいという欲求に目をつぶるか、3人目に挑戦するか。
私は営業職としてずっと仕事を続けるつもりで、夫も会社員。共働きは忙しいけれど、社宅があるので家族の人数に応じたところに格安で住めるから生活はなんとかなる。
私は決断し、幸運にも賭けに勝った。第3子は女の子、待望の女の子。
母を早くに亡くした私は、その経験の影響があるのだろう、ずっとふたつの理想を描いていた。ひとつ目は長い人生、何があるかわからないからしっかり働いて稼げるようになること。ふたつ目は、子どもと旅行に行ったり食事に行ったり、たくさんの楽しい時間を過ごしたいということ。夢のイメージは女の子で、私と母ができなかったことを重ね合わせているんだろうと思う。
うえの男の子、翔太と健太はやんちゃで手がかかったけれど、その分単純で、ストレートなところがとっても可愛かった。そして最後に家族に加わってくれた英玲奈とは、その可愛さにプラスして、服やヘアスタイルを選ぶ楽しみや、進路に悩んだときに支えたり、将来は恋について一緒に悩んだりするような、小さくて新しい喜びを共有する……はずだった。
でも彼女が5歳になる頃には、少々私のイメージとは異なる「彼女らしさ」がすっかりあらわれていた。英玲奈は遠足やお遊戯会でも、どこかクールに構えているタイプ。お姫様役にちっとも興味がなく、残った村人の配役がいいと淡々と参加していた。
この、淡々と、というのが何事も全力で頑張りたい私にはどうしても……つかみどころがないように感じてしまう。歯がゆいし、もどかしいし、はぐらかされているような、心が通じていないような気がする。
そのあと、受験や人間関係のあれやこれや、進路などすべての局面においてあの子はクールで淡泊だった。それは私の生き方とは正反対で。
きっと英玲奈も、私のことを暑苦しい母親だと思っているだろうし、それは成長するにつけて感じるようになっていた。彼女は母親とべったりしたいなどと思うタイプじゃない。誰かとつるむことがそもそも少ないし、自分を全部さらけ出すのは苦手なようにも思える。だからこそ生活費がきつくてもわざわざ東京にある実家を飛び出していったんだろう。
夫婦のどちらにもあまり似ていない、涼しい顔つきのほっそりした娘。小さい頃からわがままを言うこともなかった。末っ子の女の子、というイメージからもほど遠く、それも拍子抜けしたものだ。
かわいげがあるという意味では翔太と健太のほうが圧倒的に上。女子同士にだけ発生すると思われた強い連帯感は、母娘だからって自動的に発生するわけじゃないらしい。
そんなことに産んでから気づいたなんて誰にも言えない。わが子に、「好きな順番」があるなんて絶対に言っちゃいけない。
母は無条件に子どもが可愛いもの。
その「前提」と、上の二人ほどには下の子を愛せないという事実は、私に、外からは分からない深い罪悪感を残した。
ひとさじのリアル
「英玲奈ちゃん、いいじゃない自立してて。うちなんていつまでたっても家を出ていかないし、結婚したらうちの隣のマンション買うって言ってる。私に子どもの世話を押し付ける気満々よ!」
大学時代の友人、美津は気の置けない、この年になるととても貴重な女友達。でもそんな美津にさえ、「自分の娘と気が合わない」とは言えなかった。冗談のように、愚痴のように「あの子ったらメッセージは既読スルーするわ、実家に寄り付かないわ、ほんとドライなのよ」とつぶやくのが精一杯。
母は絶対的に子どもを愛しているはずだから、3人目の、しかも待望だったはずの娘だけ可愛いと思えないなどと言ったら、人でなしだと思われるだろう。理想の母娘関係じゃないからといって落胆しているなんて、我ながらひどいと思う。
英玲奈が中学生のときには、いよいよ彼女と距離があることを自覚して焦り、「娘 気が合わない 可愛いと思えない」などと検索して、ネットの世界に共感と対策を探していた。最低だ、私。
私はランチのパスタを食べながら、美津にライトに愚痴ってみる。
「でも、私なりに必死に3人目を産んで、大人になったら女同士で遊びたかったのよ。息子なんて彼女ができたら結局そっちだし。親なんてつまんないものねえ」
「そうよ、親なんて、子どもにお金も手間も愛情もかけまくっても、最後はそんなもんよ。期待しすぎなのよ、春奈は。ま、子どもは母親がなんだかんだ好きだと思うけどな。クールに見えてもね」
そうかなあ。そうは見えないな。英玲奈から、好かれてるという自信はほとんど持てなかった。私は曖昧にほほ笑む。
英玲奈が就職をするとき、事務のなかでも広がりの少なそうな仕事、もっといえば刺激のなさそうな職場ばかり応募するので、若いのにそれでいいの? と尋ねたことがある。
すると英玲奈ははっとするほど硬い声でこう答えた。
「私、お母さんみたいにがちゃがちゃしてる人生は目指してないから。自分のペースで生きたいの。私とお母さんは、全然違う。私がいいと思うものを、一方的に評価を下して口をださないで」
苦い記憶。頭に浮かんだその場面を振り払いたくて、私は目の前のパスタに集中する。
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