意外と私の大切な私を司っている部分、のこと


最近、自己肯定という言葉に遭遇する機会が増えたなと感じるけれど、私は正直、自己の全てを肯定できなくてもいいんじゃないかなあ、とちょっと思う。ただ認めてあげたらいいんじゃないかなあ、と思う。肯定じゃなくて認識。自己認識すればそれで十分なんじゃないか、そして、それは結構すごいことなんじゃないかと私は思う。容姿とか性格とか、自分のここはちょっときついっすわ、いけてないですわ、嫌いですわ、という部分があってもええやん。でも、意外とそこが私の大切な私を司っている部分であるということも私はこの33年間でなんとなくわかったし、そこをおもろいとか美しいとか思ってくれる人もこの広い世界のどこかに必ず一人はいるわけで、人の美的感覚や価値観というものはほんまに人それぞれなんやなと生きていれば生きているだけ思う。

あと、ぶっちゃけ他者は自分のコンプレックス部分には興味も関心もないし、自分が気にしすぎているだけで、周りはなんとも思ってなかった、ちゃんちゃん、ということも多分にあるよね。実際、コンプレックスに対して、ええやんそれで! と自分が言うことも言われることも私は多い。

だから、自分に対しても、それぐらいの距離感で「ここはあんまり好きじゃないけど、まあええやん。他に私のええところはいっぱいありますよ」という風に自分が納得していれば、人から何を言われようと「ですよねー。でも、そこだけが私の全てじゃなくて、私には他に特筆すべきことがたくさんあって、私は私を愛していて、美しいと思っているんです。このコンプレックスがあることが、むしろ私なんです。だから、ありがとうございます。失礼します」という感じで、自分のことをあきらめてあきらかにしてまるごと全部愛しちゃう「らめ活」を実行したことによるばりばりの自己認識で受け止めて、そうなんや、と思うことは資料にして、気にする必要のないことはナイアガラの滝ぐらいの激流に速攻で流して生きていく。

「容姿とか性格とか自分のここ嫌い、でええやん」コンタクトレンズに伊達メガネだった思春期のこと【坂口涼太郎エッセイ】_img0
 

そんな、コンプレックスに対して菩薩のような微笑みで自己認識する私の顔面に久方ぶりの新鮮な感動と向き合い方をもたらしてくれたおメイクにより、私は久しぶりに自分の顔と話がはずんでしょうがない。美容大革命により、さらに自分のことを愛せるようになってしまって、私は今の自分が自分史上最高に美しいと思っています。あ、もちろん自分調べです。だって、自分にしか自分が美しいか美しくないかは決められないから。そして、これからも私の美しさは更新されていくこと間違いなしでございます。

ノストラダムスに負けず劣らない予言をここに記したので、この予言が的中していることを未来の私がいつか知る日が来ることを心待ちにして、今日もお涼は顔の余白を大好きな色で色づけて、私色でちゃ舞台から世界の舞台へ飛び出して、踊るよ。……あれ、ノストラダムスの予言って的中したんだっけ。

まあ、ええやん。
 

 


<INFORMATION>
坂口涼太郎さん出演
ドラマ「Sunny」
(Apple TV+で配信中)

日本の京都に住む、あるアメリカ人女性の人生が一変。彼女の夫と息子が不可解な飛行機事故で消息不明となってしまう。そして、夫の電子機器会社が製造した新型の家庭用ロボット・サニーと暮らすことになる。


文・スタイリング/坂口涼太郎
撮影/田上浩一
ヘア&メイク/齊藤琴絵
協力/ヒオカ
構成/坂口彩
 

「容姿とか性格とか自分のここ嫌い、でええやん」コンタクトレンズに伊達メガネだった思春期のこと【坂口涼太郎エッセイ】_img1
 

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