自分の心と体を生きる
『紫式部日記』には、紫式部が「むなしい日々」を送るようすも描かれている、と大塚さん。たとえば、「何一つぱっとした思い出もなく過ごしてきたうえに、これといった将来の希望もないときては、自分を慰めようもありません」などと書いていたりするようです。しかし、大塚さんはこうも続けます。
そうはいっても彼女は、長編『源氏物語』を書き上げるほどの人だ。マイナス思考に終始していたわけではない。そんな暗い心境から、なんとか抜け出そうと試みていた。
彼女は続ける。
「でも、だからといって、自分がすさんだ心で暮らす身だとだけは思いますまい」と。
「風の涼しい夕暮れは、聞きよくもない琴をひとりかき鳴らしては、琴にこめられた嘆きの色を聞き知る人もいるのでは? と不吉に思い」「退屈でしかたない時は、亡き夫の所蔵していた漢籍を一つ二つひもといて見る」と。
そして、
「人がとやかく言おうとも、ただ阿弥陀仏に向かってたゆみなくお経を読むことにしよう。イヤなこの世には、つゆばかりの執着もなくなったのですから、出家しても怠けることはいたしません」
と、強い決意を見せる。
紫式部は「不幸だ」と嘆くだけではなく、「じたばたあがいていた」ことが『紫式部日記』では感じ取ることができる。その一つが、「物語を書く」ということだったのだろう。そして登場人物に悩ませながら、自分も答えを探していたのだろう——と、大塚さんは紫式部の心の内に思いを馳せます。
『源氏物語』でも、そうした紫式部の生きざまが表れているシーンがあるといいます。
そんな紫式部の姿勢が、わりと前面に押し出されているのが宇治十帖で、そのラストで彼女が指し示したのが、浮舟の「拒絶」だった。登場人物の生殺与奪(せいさいよだつ)を神のように握ってきた紫式部が、最後の最後で、登場人物に意思をもたせ、創造物を操る手を離した。
「足の向く先はひょっとして間違っているかもしれない。でも、とにかく自分の足で歩こう。自分の頭で判断しよう」
つまり、
「自分の心と体を生きよう」
と言っているのである。
それは、「心も身も思い通りにならない」と嘆く紫式部にとっては、見果てぬ夢であったかもしれない。けれど、不幸でしか生きる実感を得にくい、下り坂の世を生き抜くためには、それしかないのだ。
と、紫式部は、浮舟を描くことを通じて確認したのだろう。
紫式部のマイナス思考は、ここにきて、マイナスとマイナスが重なって、プラスに転じるような、不思議な明るさを見せる。それはこれで心と体(身の上)の折りあいがつくのではないか、という希望の明るさのようにも感じられるのである。
吉高由里子さん演じる紫式部の魅力は、不幸を不幸で終わらせない颯爽とした知性にありますが、これからも「思い通りにならない」ことが立て続けに起こる中、どのようにマイナスをプラスに転じさせていくのか。「自分の心と体を生きよう」との覚悟を決めるか。大塚さんが教えてくれる紫式部と吉高さん演じる紫式部が、どんなふうにリンクしていくのかも楽しみにしたいと思います。
『傷だらけの光源氏』
著者:大塚ひかり
辰巳出版 1650円(税込)
紫式部が本当に描きたかったのは、“誰か”のではなく、“自ら”の人生を生きる女性だった——。古典エッセイストの大塚ひかりさんが、カラダ目線で『源氏物語』を読み解いていく。物語で描かれる登場人物、そして紫式部が残した言葉たちを元に、現代社会にも通じるリアルな世界としての『源氏物語』を捉え直していく一冊です。
写真:Shutterstock
構成/金澤英恵
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