「ブルゾンちえみ」として大ブレイク。キャリアウーマンのネタで一世を風靡したあと、人気の最中に所属事務所を退所し、本名で活動するようになった藤原しおりさん。異例のスピードでスターの階段をかけあがり、自らその立場から離れるという大きな決断をしたとき、どんな心境だったのか。今だから振り返れる舞台裏に迫ります。

藤原しおりがブルゾンちえみ時代に感じた責任とプレッシャー、異例のブレイクの最中で見えていた景色とは_img0
 

藤原しおり
1990年岡山県生まれ。島根大学教育学部を中退し、音楽専門学校を経て、2013年にワタナベエンターテインメントカレッジに入学、15年卒業。16年に「ブルゾンちえみwith B」を結成、17年に「ぐるナイ!おもしろ荘2017」(日本テレビ系)に出演し大ブレイク。キャリアウーマンのネタで一世を風靡した。その後所属事務所を退所。

 


人間の記憶は曖昧なもの


ー藤原さんと言えば、「ブルゾンちえみ」として大ブレイク。一世を風靡し、一躍「時の人」となりました。ブレイクするって、はたからみたら「いいこと」だと思われそうですが、一方ですごく負担もかかるだろうし、「消費される」みたいな感覚にもなりそうです。実際はどうでしたか?

藤原しおり(以下、藤原):「消費される」の中にもいくつかあると思っていて。シンプルに体力的・精神的な疲れるという意味での「消費」。それともうひとつ、自分がしたくないって思ってるのにしなきゃいけないっていう意味での「消費される」。早く売れることと、消費されることっていうのは、別に考えてもいいかもしれないですね。もしかしたら、ゆっくりゆっくり売れていったとしても、消費されると感じる人は感じるだろうし、早く売れても、「やったんぞ」という人は消費されてると感じないかもしれないなと思っていて。だから一概に、早く売れると消費されてしまうっていうネガティブなものではないかなと今は思っていますね。

ー藤原さん自身、売れたことで、いろんなことができて、楽しかった面もあったんでしょうか。

藤原:楽しかったです。最近、10年前に観た映画をもう一度観ることにハマっているんですけど、初見かっていうぐらい、ほとんど覚えてないんです。人間の記憶ってかなり曖昧なんだなと。だから、自分の記憶も、いいように塗り替えていこうかなって思うんです。つらかったな大変だったなって年々重ねていくと、本当にあのときの記憶が、楽しいこともあったのに「つらかった」だけで固められていくような気がして。