スキンケア研究家の三上大進さんは、2018平昌、2020東京パラリンピックにてリポーターを務め、選手の情報をこと細かく伝える熱心さと、愛されるキャラクターでインパクトを残しました。
自身初の著書となる『ひだりポケットの三日月』(講談社)では、東京オリンピック・パラリンピックにコロナ禍が直撃し、開催が危ぶまれる中での胸中や、リポーターとしての奮闘についても綴られています。今回は、パラリンピックリポーターの経験を通して見えたものについてお話を伺います。
三上大進(みかみ・だいしん)さん
大学卒業後、外資系化粧品会社でマーケティングに従事。2018に日本放送協会入局。業界初となる障がいのあるキャスター・リポーターとして採用され2018平昌、2020東京パラリンピックにてリポーターを務める。生まれつき左手の指が2本という、左上肢機能障害を持ち、自身のセクシャリティがLGBTQ+であることをカミングアウトしている。現在はスキンケア研究家として活動。スキンケアブランド「dr365」をプロデュース、運営。
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オリンピックへの猛烈な逆風。それでも取材を続けた
——ご著書の第1章「パラリンピック奮闘記」では、NHKのリポーターとして活動される中で起きた様々な出来事が綴られていて、どれも印象的なものばかりでした。NHKのリポーターになるために勤めていた会社を辞めて、いわば「背水の陣」だったと思うのですが、コロナ禍になり、東京オリンピック・パラリンピックの開催が危うくなりました。当時はどんな心境でしたか。
三上大進さん(以下、三上):2018年の平昌大会のときからNHKでリポーターをしていて、2020年の東京大会に向けてずっと準備していたのですが、まさかのコロナ禍で延期になって、どうなっちゃうのかしら……みたいな。上司からも「あなたは今、沈みゆく船に乗ってます。今後、どうしたいですか?」と言われて。SNSは大会開催に批判の声で溢れていましたし、あちこちでも反対運動が行われていて、まさに四面楚歌というか。私自身もどうなるのか、全くわからなかったんです。
正直、心は何度も折れかけました。今後の自分の生活もあるし、もうこのままやめちゃおうか? とも考えました。だって船は沈みかけなんです(笑)。けれどそんな渦中でも、選手は誰ひとり諦めていなかったんです。プールが閉鎖されちゃったからと川で泳いだり、ジムが閉まっちゃったからと鉄アレイを車椅子に積んで駅まで往復していたり……。
三上:もしここで自分がやめてしまったら、選手たちが絶対に諦めなかったその姿を、誰が伝えられるんだろう、と思ったんです。これからどうなるのかわからない。このまま叩かれ続けるかもしれない。だけど、もしいざ大会が開催されたときに、選手一人ひとりにこんなドラマがあって、こんなふうにみんな工夫していたという事実を伝えられる人が、せめてひとりでもいなければと思って、頑張ってみようと。
リポーターという仕事が自分の生活のためだったら、とっくに諦めていたと思います。「誰かのために」と思えたことで、乗り越えられた壁だった。選手たちの「諦めない」という強い思いに、それを私のやり方で守りたいという願いが重なって、あのときもう1回、ノートとペンが取れたのだと思います。
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