日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは、前回に続き「別に登らなくていい階段〈後編〉」です。歌って踊れるダンサーでもあるお涼さん。やってみたかった憧れに12年ぶりの再会を果たすの巻。

「この生活が私のパレード」30年前に夢の国で見た魔法から私はまだ覚めていないのかも【坂口涼太郎エッセイ】_img0
 

かつて、子どもお涼時代に家族でディズニーランドに行き、大好きな「ディズニー・ファンティリュージョン!」が始まるのをベストポジションに陣取りながら待っていたとき。今まさに始まる、道の向こうの方にミッキーのシルエットが見え始めたという矢先、夢と希望の国で子どもお涼に人生で初めての試練が与えられた。

突然の、尿意である。

冷たいコンクリートに座って今か今かと待っている間に臀部及び腹部はパレードへの期待とは裏腹にすっかりと冷め、キンキンに冷えたお尿がお涼の顔を青ざめさせ、今や1ミリでも体を動かしたり、体のどこかの力を一瞬でも抜けばジ・エンド・オブ・ザ・ディズニーランド。私のいる今ここがスプラッシュ・マウンテンになってしまう恐れがあり、「今すぐトイレに行かなければいけない!」というレスキュー信号と、「パレードを見たい!」という熱望がぶつかって火花を散らし、拮抗している。

 

人生で初めての試練を与えられたお涼は綱渡りするような緊張と集中力を要して、声帯だけを震わせ「お、かあ、さん、トイ、レ、行き、たい」と伝えると、「え!? でも、もうすぐミッキー来るよ!? すぐそこにミッキー来てるよ!?」と目前の王者ミッキーを指差しながら私の顔を見れば、おそらくそこには「限界」と書いてあり、母は少しの間逡巡したのち、おもむろに飲みかけのペットボトルのお茶をごくごくと飲んで空にし、勇者に剣を差し出すような面持ちで私の前に空になったお茶のペットボトルを差し出した。

「これに、しなさい」

ディズニーヒーロー顔負けの真剣さで私を見据える母と見つめ合った数秒ののち、子どもお涼は決意を込めて母から差し出されたペットボトルをがしっと受け取り、キンキンに冷えて今にも決壊しそうなお涼ダムの放流口にペットボトルの飲み口をセット。それを確認した母はブランケットを私の下半身にさっとかけ「さあ」というような眼差しで我が子を促した。意を決したお涼がダム放流を開始するのと同時にふと顔を上げれば待望のミッキーが目の前を通り過ぎようとしており、お涼はお尿をペットボトルへファンティリュージョンさせながらお涼ダム放流達成の喜びとミッキー拝顔の興奮が混ぜ合わさって感情がぐちゃぐちゃになった状態で「あ゛ーーーー!!! ミ゛ッギィィィィーーーー!!!!!」と絶叫していたのであった。

子どもお涼が人生において別に登らなくてもいい、どこかしらの階段を登ったあの時。心なしかミッキーはパレードのフロートの上から私を見たのち、一瞬固まっていたように感じたけれど、それはさすがに私の錯覚だよな。子どもが放尿しながら自分の名前を絶叫している姿を見るとはどういう気持ちなのか、夢と希望の国のヒーローであることも、いろいろご苦労あるやろな。

そんな、母の逞しさとミッキーを労うような気持ちを思い出したりしながら、私は神戸の幼馴染とディズニーランドへ行く日を迎えた。

 
  • 1
  • 2