フリーアナウンサーの住吉美紀さんが50代の入り口に立って始めた、「暮らしと人生の棚おろし」を綴ります。
40歳を挟んで3年ほど続き、自分をおとしめる羽目になった恋愛。最近、仕事仲間に「あのころ実は、住吉さん大丈夫かな、と思っていた」と言われた。そうか、周りにも心配されるほど、無理があったのか。でも当時は、もうこの人を逃すとないかもしれないと視野が狭まり、月日を重ねてしまった。
そして、最初はかすった程度だった心の傷は、同じところを繰り返し切り付けているうちに深く、太くなり、仕舞いには鋭いV字谷が形成されてしまった。自尊心がズタボロのまま、42歳を迎えていた。
こんな自分がこれからどうしたらいいのか、わからなかった。ハッピーではなかった。家族が欲しいという気持ちは、変わらないままだった。
その谷から抜け出させてくれた人がいる。
きっかけは、テレビ企画の提案だった。それまで既に何回かご一緒し、意気投合していたディレクターさんから「初恋の人と再会する企画に出演してほしい」とご依頼いただいたのだ。
しかし、私は小学校入学前に家族でアメリカに引っ越していたため、初恋の人はアメリカ人だった。小学2年生の時に好きになった、Rくん。クラスで一番背が高く、栗色の髪、透き通った青い瞳、陶器のような白い肌、整った鼻筋の周りに薄いそばかすが散った、正統派の美男子。スモークがかかったような温かい声でかけてくれる言葉はいつも優しい、シャイな男の子だった。
小学生らしくみんなで一緒に遊ぶことはあったが、告白も何もしないままだった。唯一覚えているドキドキ体験は、ローラースケート場を貸し切って行われた学校のイベントで、スローな曲に合わせて手を繋いでスケートをしたこと。
そのうち、父の異動が決まり、私は夏休みの間に日本に帰国。最後の挨拶すらしないまま、会えなくなってしまった。しかも、携帯電話もインターネットもない時代だ。その後、大人になってFacebookができて当時の友人数人と繋がれた時、彼のことも検索してみたが、結局出てこず。どうしているか、まったく知らなかった。
そこにテレビ企画の話。「シアトルでの初恋ですし、その後連絡を取ったこともなければ、生きているかどうかもわからないですよ」という私に、ディレクターさんは「でも、探してみてもいいですか? アメリカのリサーチャーに調べてみてもらいますから」。どうぞ、と言った。
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