「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体をご存じでしょうか? この会では、障がい児や医療的ケア児を育てながら、働き続けたい親たちが、ゆるやかにつながり、支え合っています。
障がい児や、医療的ケア児を育てながら働こうとする親の前には、両立を続けるためのハードルが幾重にも立ちはだかっています。子どもや家族の暮らしを守るため、この団体は行政や勤め先への働きかけを続けています。ケアの必要な子を育てている親も働き続けることができるよう、育児・介護支援制度を子の年齢で区切らず、障がいや疾患の状態に応じて配慮してもらえるよう、社会を変えようとしているのです。
この会の会長であり、朝日新聞社に勤めながら、重度の知的障がいを伴う重い自閉症の16歳の娘さんを育てていらっしゃる工藤さほさんへのインタビュー、第16回です。
第15回はこちら>>>小学部までしかない特別支援学校を卒業したら、次はどこに進学したらいいの?【障がい児を育てながら働く⑮】
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小学校時代に娘が通っていた特別支援学校の始業は9時半。娘の体力的にラッシュ時の電車に乗ることは不可能だったので、車で40分かけて送迎していました。
しかしある日、交通事故に巻き込まれ、救急車で母子ともに搬送されたのです。
—— どのような事故だったのでしょうか?
娘が小学6年生の1月、高速道路の入口手前で一時停車中に、後続の大型車に追突されました。
不意に襲った衝撃に、私たち親子は頭や手首を打ちつけ、そのまま母子で救急車で病院に搬送されました。
—— 娘さん、そして工藤さんのケガの具合は?
車は廃車になりましたが、そのぶん私たちを守ってくれたのでしょう。幸い、母子ともども比較的軽症でした。救急車を見るのが大好きな娘は、初めてその中に入り、きょとんとしていました。
一方で、娘はじっとしていることが難しく、普段でもレントゲンを撮るなどはひと苦労です。このとき搬送された病院では頭部のMRIを撮ることもできませんでした。
「48時間以内に嘔吐など様子のおかしいことが起きたら、すぐに病院に来るように」
そう医師から言われて、生きた心地がしませんでした。幸い何事もなく、娘のケガは湿布や塗り薬をつけて10日程度で治り、胸をなでおろしました。
私も数週間、首や腰のリハビリのために整形外科に通いました。
娘が3歳のころから毎朝送迎してきましたが、この事故をきっかけに、私だけで育児をする限界を痛感しました。
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