●ふるさとに帰らなかったこと
死が近くなると、人は昔を思い出すものです。亡くなる1週間前ごろから「終末期せん妄」といって意識が変容して、時間や場所の感覚が曖昧になることがあります。そのとき、昔のことを語りだす人がいます。意識はしなくても、人の心の奥底に眠っていた幼少期のことや、かつて住んでいた場所、そこでともに生きた人の記憶が顔を出すのです。
遠くない死期を感じると、ふるさとに帰りたい、親の墓参りをしたいという人も少なくありません。しかし、病状によってはすでに故郷に帰ることが難しくなってしまっていることもあります。それが後悔につながる場合もあるのです。故郷に行きたいならば、健康なうちにするべきです。体が動かなくなってしまってからでは遅いのです。
私の知っている患者さんに余命が1、2か月以内とも思えるほど衰弱されてから、里帰りを実行した人たちがいます。それをきっかけに生命力を取り戻して何と1年近く生きた人、故郷で幸せな最期を迎えた人もいます。それらの方の場合は、故郷に行くことが人生にプラスの影響を与えたように見えました。
ただ、誰もが同じことをできるわけではありません。死期が迫ってから後悔しないように、早めに計画・実行していくとよいでしょう。
●趣味に時間を割かなかったこと
終末期に、仕事ばかりの人生だったことを後悔する人がいます。「仕事=人生」だった人は、病気になり、入院が頻繁になると仕事ができなくなり、生きがいが奪われてしまうからです。仕事しか引き出しがないと、仕事ができなくなったときにつらい思いをする可能性が高くなるかもしれません。
私の知っている患者さんで、普通だったら散歩ができないほど筋力が落ちているのに「散歩に出るのが楽しい」と出かけていた人がいました。病床で死の数日前まで粘土細工に打ち込んでいた人もいました。ホスピスのロビーで趣味の歌を披露し、再び歌を歌いたいと生命の炎を燃やし続けた人もいます。
終末期のために趣味を持つ必要はありませんが、何らかの一芸を追求し続けるのは人生の引き出しを増やし、己の糧になるのではないかと感じます。それが最後まで、人を支え続けるものになったりもするのです。私の見てきた一芸を長く続けた人たちは、最後までそれを楽しみながら、後悔のない、よい最期を迎えられたように感じています。
旅行を趣味とする人は、できるうちにしておきましょう。病気になってからの旅行は簡単ではありませんし、終末期になるとさらに大変です。体力的なことだけが問題ではありません。手続きが大変で、周囲の理解を得ることも必要になるからです。
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