たとえば、痛み止めの医療用麻薬を使用していても海外渡航はできますが、その持ち運びのための諸手続きや、海外で体調を崩したときのための英文の紹介状などが必要な場合があり、準備に時間がかかります。

80代で車いす、余命2、3カ月と推測される男性から家族とハワイに行きたいと言われたときには驚きました。しかし本人と家族の決意は固く、私は英語の文書作成に精を出しました。旅行から数カ月して男性は亡くなりましたが、「よい思い出ができた」と本人も家族も大変満足しておられたことが記憶に残っています。

病状が深刻になる前に旅行にはどんどん行くべきです。明らかに他者に迷惑をかける場合はやめたほうがいいと思いますが、そうでないなら行ったほうが後悔は少ないと思います。

 


●生と死の意味を見つけられなかったこと

終末期の患者さんが「後悔すること」から見えてくる、「幸せに逝く」ために必要な4つの準備_img0
写真:shutterstock

17歳で亡くなったある少女は、自分の生死を見つめ「自分の生が、死が意味あるものでありたいと思う」と最後の手紙に書き残したと言います。生が無意味なら、人は死ぬしかなくなります。死が無意味なら、人の死は無駄死にだと感じます。だから人は、生と死の意味を求めて止まないのでしょう。無意味であることを恐れているのです。

一方で、生と死の意味を見つけるのは難しいことです。人の数だけ答えがあることでしょう。少なくとも死ぬまでに、自分なりの答えをある程度つかんでいなければ、つらい時間を過ごさなければならないかもしれません。

私が思うに、独自の人生観を「マイ哲学」で築いていた人は、死を前にしても堂々たるものでした。一方、単なる快楽主義のような「マイ哲学」を持っていた人は、最後の最後に築き上げた城が崩壊してしまった場合もあります。

私たちはもっと生と死について知り、それに対して己の考えを確立すると楽になれると思います。かつて俳優として活躍された入川保則さんと生前一度対談の機会を持たせて頂いた時に、入川さんは「もともと苦しいものを、楽しいものに変えていく過程こそが人生なんだ」と仰っていました。確かにそのように捉えると、この世界もまた異なって見えるかもしれません。そのような自分自身の生や死に対する考え方は、窮地のときはもちろん、死出の道をも照らしてくれるものだと思います。