日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは「打ち上げる準備」です。質・量ともに、さすがのお涼さんでも覚悟が必要だったこの夏のあるお仕事。

「これまで生きてきたことが最大の準備やんか」緊急入院の体験で学んだ私が受けとった代役のバトン【坂口涼太郎エッセイ】_img0
 

「1ヵ月半後に本番を迎える5時間の演劇の代役を務めてほしい」
そう電話がかかってきたとき、私はちゃぶ台の前でお茶をすすりながら、週1日か2日ほどドラマの撮影があるだけで比較的暇なこの夏はどこの祭りに参加して、かつてはドラキュラばりに太陽嫌いで、クーラーの効いた部屋で時間を遡るように昔の映画を見漁り、ごろごろと冬眠ならぬ夏眠をしていた30年分の夏を取り戻そうかと日本各地のおもろそうな祭りを検索しながらほくそ笑んでいる最中だった。
 

 


座っているのか寝ているのかわからない、その中間のような姿勢でむふむふしていた矢先にマネージャーお福から電話が入り、なぜか怒られそうな気がしてどきっとしたら、あろうことかその上を行って思わず部屋でひとり立ち上がりうろうろするほどのドキッ!! をお見舞いされてしまって、お涼に予想外の夏が訪れようとしていたのは7月22日。稽古が始まる3日前のことだった。

歌舞伎の演目を現代の人々に届ける木ノ下歌舞伎、略して“キノカブ”は「勧進帳」「三番叟」という演目で参加していて、いつも俳優としても人としてもターニングポイントになるような経験をさせてもらっている大切で大好きな劇団。

そんなキノカブからヘルプの要請が来ていて、私にできることがあるのならご協力したいし、キノカブファンとして東京芸術劇場のプレイハウスでキノカブが初上演するということはとてもメモリアルであり、そんな特別な公演の一員になれるのは嬉しいし楽しそう。

でも、私にとって演劇をやるというのはそれなりのハードルのあることで、心と体の準備が必要っちゃ必要。作品のことや務める役のことをなんとなくリサーチしたり、エッセンスになるものに触れに行ってみたり、台本を読んだり、台詞を覚えたり、体をほぐして体力をつけたり、“演劇筋”なるものを鍛えて準備を整えてから挑みたい気持ちはあって、ましてや5時間の舞台ならなおさらの準備が必要そうやしどうしよう。他の仕事もあるし、果たして本当に自分に務められるのかどうかという議題についてお涼のインサイドヘッドにいるリトルお涼たちは「そんなもん、お涼ならできるやろ! やったれやったれ!」という前向きな主張と「ほ、ほんまにできんのんか……いけんのんかお涼……」という懸念に加え、「祭りはどうすんねん! 30年分の夏、取り戻すんちゃうんかい!」という雑念すら飛び出し、激しく議論され、らちがあかなくなりそうな矢先、何の因果かその公演「三人吉三廓初買」に参加する俳優高山のえみさんから久しぶりに連絡があり、私たちが公演した「勧進帳」を観劇してくださった歌舞伎俳優の中村勘九郎さんと中村七之助さんが、私の務めた富樫がよかったよと仰ってくれていたという嬉しいご連絡がピコーンと入った。

そのとき思い出したのは、私にとっての「三人吉三」は勘九郎さんと七之助さんと尾上松也さんが三人の吉三を務められた串田和美さん演出のコクーン歌舞伎であり、その「三人吉三」が、演劇史に燦然と輝くでこれは! と大興奮して眠れないほど素晴らしかったことだった。

私が代役を依頼された「お嬢吉三」という役は女装の盗賊で、コクーン歌舞伎では七之助さんが務められていたのだけれど、その可憐で逞しくて刹那的で美しさの全部を集約させたみたいなお姿に私は釘づけだった記憶がどんどん蘇ってきて、あの魅力的な「お嬢吉三」を今私がやれるかもしれへんことになってるって、これはちょっとものすごいことちゃう? そんなんやってみたいに決まってるし、このタイミングでかつての感動を思い出させてくれる連絡がヘルプ要請の電話とほぼ同時に来たというこの大いなる偶然もおもろいやんけ、不思議やんけ、中村屋! と大向こうをかける勢いで、マネージャーお福に「やります!」とお伝えした。

それから、果たして本当に私の出演は可能なのかというマネージメント部と劇場側の審議の結果を待つ間、私はもし演劇に参加することになれば祭りに行く側ではなく、どちらかというと祭りを催す側になり、この夏は「三人吉三」に夏を捧げることになるであろうから、「あ、夏するなら今のうちちゃうか?」と思い至り、始まる直前に雷雨で中止になり「どしゃ降りの中、浴衣を着て屋台で買い占めた焼きそばやたこ焼きをわざわざアリオ西新井で食べた」という1日になった足立区の花火大会のリベンジも兼ねて、翌日葛飾で花火大会があることを調べ上げ、ひとりで浴衣を着て、もしかしたらこの夏最初で最後になるかもしれない花火を見に行った。

一人分にしては買いすぎた屋台の焼きそばやたこ焼きや唐揚げやとうもろこしなどと一緒に缶ビールを片手に花火を見ながら、これからどうなるかわからない夏について考えた。

 
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