日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは、前回に続き「永遠を解く力〈後編〉」です。2年前の夏、青天の霹靂で緊急入院となったお涼さんが、再び日常を取り戻すまでの長くて短い7日間のお話。
人生で初めての入院の為に一度家に帰って、着替えや本やパソコンや、ちょっとでも心の拠り所になるかなと親友3人と自分のアクスタを持ってまた病院に戻り、いつ退院できるかわからない入院生活が始まった。
「とにかくベッドで寝ていろ」というのが私への治療で、食事制限も特になく、3食しっかり食べて寝るというシンプルというかもはや贅沢にさえ感じる至れり尽くせりな入院生活で、寝ているだけでバランスのとれたお食事が出てきて、食べてはまた眠りにつくという、このあと私をまるまる太らせてどこかに出荷するつもりなのかな、と思うほどの甘やかされようだった。
もちろんみんなにも自分が演じていた役にも、志半ばでこんなことになってしまって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、ドラマを途中で休むっていうことがあらゆるところにどれだけの損害を与え、違約金とか、事務所やテレビ局への措置とか、私には考えが及ばないほどの迷惑をきっと各所にかけていて、たぶん私はこの先メディアの世界から干されて、事務所もクビになって、借金まみれになるんだろうなと予測して、気持ちはどんより沈んでいるんだけれど、体はもう、うっほうほに大喜びしていて、よかったー! やっと休めたー! こいつほんまにいつ休むねんってずっと思っててん! やっと横になれてほんま助かったわ! ドリームカムトゥルーやでほんま! レッツ休息ー! てな具合に念願の安静を寿ぎに寿いでいるのがわかり、気持ちと裏腹とは今まさにこのことよな、と自分の心と体が乖離している様を眠りながら静観していた。
私の病室には私を含めて4人の入院患者さんがいて、私は扉を開けて右奥にあるベッドにいて、ベッドの横には大きな窓があり、ずーっと空が見えていた。それがどれだけ心の支えになったかわからないほど私はずーっと空を見ていて、次第に短歌を思いつくようになり、入院している間じゅうずっと歌を詠んでいた。
どんな歌かというと、こんな歌です。
ひらけずにいる液晶でふえてゆく通知が全部愛だとわかる
ああ、きょうもなつなんだろう 額縁のなかでまぶしいビルがとけてく
完璧な温度のなかで展示されている絵画のような炎天
いい声の看護師たちが廊下にて上演してる夏の夜の夢
ねむれないよるのうつわにそそがれるこの星雲のお茶の輝き
おとなりの野球見ながら手をたたくひとが退院した 薄曇り
このようないれものだったか病院のかがみにうつるゆがんだ花瓶
病室の洗面台はHAL9000みたいに夜中しろくほほえむ
待つひとがいることだけで容れものは色づいてゆき輪郭を成す
狂いなく保たれていて10センチしかひらかない窓のかなしみ
新宿も憂鬱そうに飛行機をながめてたまにぐねりたくなる
空白のペットボトルのむこうにはいまにもあふれだしそうな雲
人里で保護され山に帰される山賊みたいな見た目で帰る
生きようとするかなぶんを二秒見てひっくりかえす おかえりなさい
退院したのはそれから7日後だった。
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