極限状態で気づいた気持ち
午後になって、おおいに酔っぱらった男性たちが焼いたお餅が食べたいというので海苔や醤油、砂糖を添えて並べました。だらしないことに、夫はぱくっと口にいれて、『あー酔っぱらったな~』などと言い、もぐもぐしながら畳に寝転んだんです。
私はお盆を手に、台所と居間を往復していて、席を離れていました。なんと夫はお餅を喉に詰まらせてしまったんです。すぐに飛び起きてお茶を飲んだり指を入れたりしていたようですが、みるみるうちに顔が真っ赤になり、お膳のうえに並んだ料理の上に覆いかぶさるように倒れこみました」
利光さんはまだお若いので、お餅をのどに詰まらせたのは義父なのかと一瞬混乱しました。しかし39歳男性でも詰まってしまったということですから、酔っていたこと、寝転んでいたことが良くなかったのでしょうか。
一瞬にして恐怖に凍った全員は、悲鳴を上げながら立ちあがったと言います。誰かが「のどにつまったぞ! 掃除機をもって来い!」「救急車だ!」などと叫ぶものの、おろおろするばかり。肝心の利光さんはもがき苦しんでいます。その間、大人が何人もいたにもかかわらず、誰も利光さんに触ろうとしません。
「その時、爆発的にわけのわからない反発心が湧きました。お餅がつまったら時間との勝負。生死に関わります。それなのに、あんなに夫をいつもちやほやしている義両親はおろおろ見ているだけ。親類は騒ぐばかり。
私は無我夢中で『子どもたち、外に出て! お義母さん、救急車をこのスマホで呼んでください!』と叫びながら、昔子どもが誤飲してしまったらやろうと頭に入れていたとおり、背中から喉を支えて背面を思い切り叩きました」
「死なせるわけにはいかない。死なないで。そう心の中で叫びながら、救急車が来るまでの10分夫の腹部や背中を叩いたり圧迫したり、必死で試みました。そのうちお餅がずれたのか、ひゅーひゅーと細い呼吸が復活したんです」
「死なないで」咄嗟に湧いた想い
春香さんの応急措置は値千金、救急隊の方が応急処置をするまで命をつなぐことができたそうです。
おもわず聞き入ってしまう事件ですが、利光さんは幸い後遺症もなく、数日の入院で退院することができました。そしてこの件をきっかけに、大きな変化がありました。
「処置している間、私があまりにも鬼気迫る様子だったことが、親類の間で謎に褒められて……義両親も『春香さんがこんなに利光を想ってくれているとは。なんて夫想いの良い嫁だ』って。いやいや、生き死にがかかったら誰だってやります、と思うんですが(笑)。
でもじつは私自身も、日頃『ああ、こんな夫いなくなればいいのに』と思っていたのに、あの瞬間は生涯で一番焦ったし、死なないで、失くしたくない、などの気持ちがまっすぐに吹き出しました。
男性としてはもう興味がないと思っていたし、夫としても幻滅しているんですけれども、やっぱり家族なんですよね。
夫は私が義両親にいじめられても見て見ぬふり。おまけに浮気もしているし、いいところなんてないと思っていました。でも今思えば、夫は墓守りを至上命題として育てられて、老後は親と一緒に住んで面倒を見ると小さい頃から言われていたそう。それに逆らうという選択肢はなかったんですよね。だからそれに染まらない妻の私を持て余したんだと思います。
そして私は、悔しい、やるせないという気持ちの奥に、家族としてそこにいてほしい、そしてできたらいい夫婦になりたいという気持ちもやっぱりあるんです。それを思い出しました」
そのことに気がついた春香さんは、数年間続けていた同級生との関係を断ちました。やってしまったことは消えないけれど、これ以上問題から目を逸らして中毒のように依存するのを辞めたかったとのこと。
すると次第に、予想もしなかった変化が春香さんの中で起こります。
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