どうせ食べるなら、良質なお肉を、美味しくいただきたい。その時ちょうど、連載で前述の”ヒドイ彼”と付き合っていた。”ヒドイ彼”は過剰な食通だったため、その情報力をこちらが利用する時が来たのだった。「25年ぶりに牛肉を食べるから、思いっきり美味しいお肉が食べられるところを予約してほしい」と頼んだ。
青山にある焼肉屋さんだった。店内は美味しい肉を求める人で超満席の人気店だった。網の前に座り、首から紙エプロンをかけ、緊張しながらもトングを握った。脂が多いのは胸焼けの危険もあったし、一番人気という、柔らかい赤身のお肉を頼んだ。よく焼いて、タレをつけて、えいっ、と口に運んだ。
「な、なんじゃこりゃ!」
「太陽にほえろ」の松田優作さんバリの驚き方だったと思う(ちょっと古いけど)。10代の頃の記憶の中の牛肉とは、まったくの別物だった。舌の上で肉がとろける。柔らかい。お肉の旨みと甘みが口中に広がる。肉汁とタレのハーモニー。白いご飯に合う。今まで食べていなかったことを後悔するほど、美味しさの極みであった。
そりゃそうである。四半世紀前のカナダで、家庭で食べていたお肉なんて、折しも赤身や熟成肉ブームの東京のものと比べてはダメだ。隔世の感を禁じ得ない。
翌日、体調的にも、すぐに違いを感じた。身体の皮膚が少し締まって、腹の芯が元気というか。
食は、お肉でもお野菜でも穀物でも、命をいただいていることに変わりはない。感謝をしながら、自分の歳と体調と暮らし方の中で、その時何をいただくのが一番いいのかを考えて、意識的に決めることが大事なのではないかと、考えるようになった。今はお肉をいただくペースは一時よりも落ち着いて、お肉と良い関係を築けている。40代にかなり食べ比べたため、お肉にも一家言持つようになった。
うちでお肉を食べるときは必ず、夫の同級生の実家でもあるという、岩手「小形牧場」の赤身肉、と決めている。結婚してから出会って、すっかり惚れ込んだ。今は私のこだわりから、夫のレストランでも小形牧場の赤身肉をローストビーフなどにしてお出ししている。同級生のよしみで卸していただけないか交渉をガンバレ、と夫を説き伏せたのも私、柔らかくて口の中でとろけるようなローストビーフが世の中にないからと、夫に開発を促したのも私。自分でも、四半世紀お肉を食べていなかった人とは思えない、と思う時がある。でも、この夫を説得するエネルギーも、50代で元気に仕事に邁進するエネルギーも、お肉に頼るところが大きいのが事実。お肉よ、ありがとう。
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