ねじれた出会い
以前、母と電話で、なにか困っていることはない? と聞いたとき。
『家の電球なんかが切れると、私じゃ届かなくてねえ。そういうときも、皆藤さんはものすごく背丈が高いから、いつも助けてくれるのよ』
「お嬢さん、はしごをかけましたよ、上を見るなら支えてますからどうぞ」
縁側では意識しなかったが、目の前の男は、157cmの私とほとんど同じ身長だ。
――この人、まさか、皆藤さんじゃない……?
一歩、後ずさった。
病院から戻ってきたとき、庭先にいた。首に手ぬぐいを巻いて、庭道具がある納屋から出てきたから、てっきり母が「私がいないあいだ鶏を見てくれている」と言った皆藤さんだと思ったけれど……名前を先に口にしたのは、どちらだった?
「お嬢さん? どうされました? 三田さんの大事なもの、上にあるかもしれませんよ」
「……いえ、今日は、こんな格好だしやめておきます。また、母に聞いてからにします、勝手に触ると怒るかもしれないし」
私はスカートを言い訳に、納屋の扉に向けてもう一歩、後退した。この男がもしも皆藤さんじゃないならば、なぜわざわざ皆藤さんのふりをして話を合わせるのか。本能的に、とにかく外に出て、誰か人がいるところへ行こうと思った。
「そうですか? それは残念……せっかく俺がいるのに。まあ、また男手が必要なときは言ってよ。いつでも来るからね」
急に、なれなれしい口調に感じられる。よく見ると、男の手はつるりと白く、庭師にしては妙にきれいで生々しい。以前母の話で、皆藤さんは死んだ兄と同い年だったといっていたから、60歳は過ぎているはず。しかし今あたらめてみれば、どう見ても50歳前後だ。
「……それじゃあの、今日はありがとうございました。私、また病院に着替えを持って戻るので、こちらで」
「ああ、そうでしたか、大変ですね。三田さんも安心だ。……それじゃ私もここで失礼します」
男は、軽く頭を下げると私道を歩いていく。その先に黒い車が停まっていた。庭師が乗っているであろう軽トラックのようなものとはかけ離れた車。どこにも庭道具があるようには見えない。
私はポケットからそうっとスマホを出して、電話がかかってきたようなふりをしながら、カメラを起動した。シャッターを押した瞬間、男が振り返った。
その目はもう笑っていない。
私は電話を続けるふりをしながら笑顔でお辞儀をした。そのまま家の前に停めてある、駅前で借りたレンタカーに乗る。震える指で、ドアをロック。スマホと、車のキーがポケットにあるのは幸いだったが、靴は縁側にならんでいたつっかけだったし、ハンドバッグはまだ家の中。迷いが生まれた。
しかし、男が車に乗らずに、無言でこちらに走ってくるのを見た瞬間、私はエンジンをかけ、車を急バックさせた。
庭をつっきると、庭と畑の境にあって、裏手に続く細い私道をそのままフルスピードで飛び出す。
男が何か叫びながら追ってくるのがバックミラーでわかったが、止まるつもりは毛頭ない。交番に飛び込んだときには、冷や汗でTシャツの背中部分がぐっしょりと濡れていた。
数日後、警察で話を聞くと、やはり男は皆藤さんではなく、出入りしていた保険会社の営業マンだった。母のところにセールスに来ているうちに、現金が家のどこかにあることを聞いて、へんな気を起こしたという。
母が植木鉢の下に隠していた鍵で家の中にも侵入していたらしい。しかし現金は、見つけることができなかった。
本物の皆藤さんにも後日会うことができたが、彼もお金のことは知らないようだった。結局、母がそのお金をどうしたのかはわからないまま。そもそも、いくらあったのかも、本当なのさえもわからない。
老いた母の記憶は次第に曖昧になり、日によっていうことが違う。
「あのねえ、お父さんのお金ね、2000万円あったけど、お母さん使っちゃったのよ~好きな人にね、あげちゃったの、昔ね」
……その話がもっとも恐ろしかったけれど。私は聞かなかったふりをすることにした。
人生には、知らなくていい怪談があふれている。
1週間の休暇で、思い切ってオーストラリアへ一人旅を決行したが、待っていたのはまさかの惨劇で……?
春の宵、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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構成/山本理沙
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