今回のような条例を通してしまった場合、これを悪用したいと考える政治家や公務員が現われると大変なことになります。政治の世界で派閥や党派の対立が生じることはよくあることですが、対立する政治家やその支援者の家族を監視して片っ端から通報すれば、相手の生活を破壊することが理屈上、可能となってしまいます。

イラスト:Shutterstock

表面的には大きな問題がないように見える一方で、細かい部分で重要な事が決まってしまうことについて「神は細部に宿る」と表現することがあります。
 
この言葉は、ファンズワース邸やレイクショアドライブ・アパートメントなどの代表作を持ち、モダニズム建築の巨匠といわれた建築家ミース・ファン・デル・ローエの言葉として知られていますが(諸説あり)、「神は細部に宿る」という言葉が転じて「悪魔は細部に宿る」とも言われます。

物事というのは、表面的で大きな部分ではなく、細かいところで決まっていくという現実を端的に示した言葉といってよいでしょう。

 

ちなみに悪法の代表とされた戦前の治安維持法も、表面的にはトンデモないことが書かれているわけではありません。核心に触れるのは「國体ヲ變革シ」という部分だけです。同法は、国体を変革する目的で活動した人を処罰するという内容ですが、国体とは何なのか、国体を変革する行為というのは何を指すのか、法律の文面からは分かりません。

結果的に政府にとって都合が悪いと判断された人物は、「国体を変革する」行為をしていると決めつけられ、身柄を拘束された上で、拷問などを通じて自白を強要される事案が多数発生しました。1943年には、与謝野晶子の『みだれ髪』(戦地に行った弟に、死なないで欲しいと願った詩)を持っていたというだけの理由で13歳の少女が捕まり、殴る蹴るの拷問を受けるという、文章に書くことも憚られるような出来事まで発生しています。

現実問題として、国会や議会で議論されている内容を、国民や市民が自力で細部まで追っていくのは困難です。その役割を担うのは、やはりマスメディアであり、メディアが積極的に報道を行うことで、見えなかった真実が世の中に浮かび上がると考えて良いでしょう。

もちろん私たちにもできることもたくさんあります。

多くの人は、政府や自治体が説明していることを、無条件で正しいものであると鵜呑みにしてしまいがちですが、必ずしもそうとは限りません。物事を単純に受け止めることはせず、常に少し斜めから見て考えるという癖をつけておくだけでも、真実を探り出す大きな力となることでしょう。
 

 

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