米倉涼子さんが、過去に観た映画を紹介するアーカイブ コレクション。
そのときに観た映画から、米倉さんの生き方、価値観が垣間見えます。

【シネマコレクション・33】<br />信仰とコントロールされること『ザ・マスター』_img0
The Weinstein Company Photographer: Phil Bray / Photofest / ゼータイメージ

『ザ・マスター』は、公開当時、私にとってタイムリーな映画でした。
というのも、この映画のモデルだといわれる新興宗教団体「サイエントロジー」の特集を、CNNで観たばかりだったのです。団体を作り上げた教祖は一体どんな人だったのか、興味津々で鑑賞しました。

第二次世界大戦後、精神のバランスを崩した帰還兵のフレディが、密航した船で新興宗教団体に遭遇することから物語ははじまります。
フィリップ・シーモア・ホフマンが教祖であるマスターを演じているのですが、寛大さや優しさと同時に厳しさも持っていて、愉快で一生懸命なところもある。付いて行きたくなる指導者や社長ってきっとこういう雰囲気を持っているんだろうな、という説得力がありました。

でも善の道に導いていくワークショップの方法や、まばたきをさせずに迫っていくカウンセリングを観ているうちに底知れぬ恐怖を感じて、こういうことにハマりたくない! という気持ちに。信仰しているというトム・クルーズ本人はハッピーなオーラを出しているけれど、組織の裏側はどうなっているんだろうという興味もわいてきましたね。

とはいえ、実はこの『ザ・マスター』は単純に教祖と信者の話ではなくて、そこが面白いし、難解なところでもあるんです。マスターとフレディは、近づいたかと思うと距離を置いたりもする。移り変わっていくふたりの関係を見ているうちにわけがわからなくなって、あれ、これって何の話だっけ? となることも。

簡単に理解できる作品ではありませんが、観ているうちに自分の感情もコントロールされていくような、奇妙な緊張感と怖さを感じました。

『ザ・マスター』
1950年代。帰還兵のフレディは戦地で患ったアルコール依存症を抱え、暴力衝動を抑えられずにいた。そんなとき、とある新興宗教団体に出会う。

取材・文/細谷美香
このページは、女性誌「FRaU」(2013年)に掲載された
「エンタメPR会社 オフィス・ヨネクラ」を加筆、修正したものです。