ビューティエディター松本千登世さんの最新刊『もう一度大人磨き 綺麗を開く毎日のレッスン76』より、大人のおしゃれと幸福論について語ります。
大人のおしゃれと幸福論
「『おしゃれな人』と『おしゃれに見られたい人』には、大きな差があると思うの」 ある女性にそう言われ、どきっとさせられたことがあります。当時私は、肌感や体型の変化から、いや、もっと漠然とした違和感から、それまでよりもずっとファッションに迷っていて、来る日も来る日も「着るものがない」が口癖になっていた時期。似合っていたはずのものが似合わない、わくわくしていたものにわくわくしない。白が清潔に見えないし、黒が艶っぽく見えない。何を着ても垢抜けない、装いに満たされない……。自分自身の中にあった「公式」みたいなものがことごとく通用しなくなって、途方に暮れていました。このまま一生、着るものが見つからないんじゃないかな? 大げさに聞こえるかもしれないけれど、それほどまでに焦りを感じていました。まさにそんなときに出会った、この言葉。すべてが腑に落ちました。ああ、私は「おしゃれな人」じゃなくて、「おしゃれに見られたい人」だったんだ。だから、着る服がなくなったんだ。こんなにも苦しかったのは、そのためだって……。
トレンドの服を身に着けていることが、すなわち、おしゃれ。毎回違う服を身に着けている人が、すなわち、おしゃれな人。おしゃれな人に見られたいという潜在的な意識がいつの間にかそんな間違った定義を作り上げて、自分自身をがんじがらめにしていたのだと思います。「変わった洋服だね、どこの?」や「珍しいバッグだね、どこの?」を勝手に褒め言葉だと解釈していたことに、はたと気づかされたのです。もし、私自身が輝きを放っていたなら、こんなふうには聞かれなかったはず。今になって、よくわかります。真におしゃれな人は、洋服やバッグだけが目立ったりしない。纏う一枚によって、表情がぱっと華やぎ、姿勢がすっと美しく見える。洋服の向こうに丁寧な生き方までも透けて見える。極端に言えば、身に着けている洋服を忘れさせるほどに、その人に目がいく。おしゃれ=その人らしさが際立つこと……。そう確信したときから、迷いが噓のように消え去りました。欲しい洋服、着たい洋服がクリアになったのです。
羽織るだけでバランスが整う、仕立てのいいジャケット。ボディラインにつかず離れず、心地よく寄り添うニット。華奢な体と凛とした表情を際立てるトレンチコート……。シンプルでオーソドックス、クラシカルでラグジュリアス。その一枚とともに動く「私」は、きっと胸を躍らせているでしょう。その一枚とともに生きる「私」は、きっと心穏やかに違いない。そう思える、自分にとっての「定番」を手に入れたいと思うようになりました。装いに満たされるってこういうこと。そんな感覚がようやく肌でわかった今、私はファッションにまた、一からときめいています。
ふと思いました。「おしゃれな人」と「おしゃれに見られたい人」の差は、「幸せな人」と「幸せに見られたい人」の差と等しいんじゃないか、と。
おしゃれでいたい。幸せでいたい。だから、姿勢から美しくする服に出会いたいと思います。ひとりひとりの輝きはきっと、そこから生まれると思うから。
顔の下半身は 「生き方の清潔感」 を語り出す
一時期、来る日も来る日も週刊誌に見出しが躍り、ワイドショーを賑わせたひとりの女性。女同士が集まるたび、私たちは、ここぞとばかりにその人の話題を口にしました。公人としての資質が問われるだの、ちゃんと仕事に徹してほしいだのと御託を並べて「オブラート」に包みながら、誰からともなく出てくる本音。「ところで、あのアイメイク、どうなの?」。女性は女性を厳しい目で観察しているものだと、改めて思い知りました。メイクは社会性の表れと、身を以て知っているからこそ、そこから生き方のセンスを見抜くということ? ああ、私だけじゃなかったんだ、気になっていたのは。そして……。
「でもね、もっと気になるのは、じつは顔の『下半身』なのよね」。勝手な妄想ながら、少しもたついたフェイスラインがだらしなさそうに見え、への字に下がった口角は、噓をついているようにも見えるのだ、と。鋭い指摘に、一同「わかる、わかる!」。結局、真相は闇の中なのだけれど。
年齢を重ねるほどに、自分の顔の変化を観察しては、確信していました。「目のシワが」とか「頰のシミが」と言ううちは、まだまだ大人の子ども。どうにもごまかせない老化は、じつは、口元やあご回り、フェイスラインなど、顔の下半身にやってくる。誰にも平等にかかる重力が、生きてきた時間の長さ、すなわち年齢を顕著に刻むからでしょう。でも……? それ以上に深刻なのは、長さのみならず、生きてきた時間の質、幸せまでもが刻まれてしまうということ。思えば、食事をするのも、会話をするのも、笑うことも顔の下半身。だから、きちんと食べているか、ゆっくり嚙んでいるか、丁寧に話しているか、心から笑っているか……。より無意識に近い、日常の小さな「癖」がすべて積み重なる。内臓と直結しているから、「生活」が表れ、「体の健康」が表れる。脳と直結しているから「思考」が表れ、「心の健康」が表れる、みたいな。つまり、女として健やかに生きてきたのか、穏やかに生きてきたのかが、露わになってしまうと思うのです。年齢を重ねれば、なおのこと。そう、顔の下半身は、その人の「品格」と「理性」といった「生き方の清潔感」を自ずと語り出してしまう、つまりそういうこと。ああ、怖い。
ちなみに、フランス在住の女性に、こんな話を聞いたことがあります。彼女たちにとって、目元のちょっとしたシワやたるみは、むしろ、豊かな時間を積み重ねて初めて生まれる包容力や幸福感の表れだから、色気になる。でも、口元のシワやたるみはまったく逆で、100年の恋も冷めるほど色気を遠ざけてしまうもの。「だから、フランス女性は口元のシワやたるみを許さないのよ」。一方で、ある男性フォトグラファーの「男はね、照れくさいから女性の目元をあまり見られない。そのぶん、意外と口元を見てるもんなんだよ」という言葉も忘れられません。女性たちは、目力、目力と必死になりがちだけれど、男性はそれをじつはあまり見ていない。唇、歯、そして声までも……。「なんだかいい感じ」も「生理的に受けつけない」も、口元を見て感じ取っていたってこと。 実際、だらだら食べたり、きちんと嚙まなかったりしていると、口元全体に緩みを生み、二重あごになると聞くし、悪口や愚痴などネガティブな言葉が口角を下げ、たるみを生み、法令線が深く刻まれるとも聞きます。今の顔と向き合って、「これまで」を知ること。そして「これから」の顔は、自ら作り直すこと。毎日を清潔に生きる、そんなちょっとした心がけを重ねて、もう一度。
<新刊紹介>
『もう一度大人磨き 綺麗を開く毎日のレッスン76』
著者 松本 千登世 講談社 1200円(税別)
読むほどに「女」修行!
若さの代わりになにを豊かにするのか?
ビューティジャーナリストとして、様々な女性誌でエッセイの連載を担当するのはもちろん、自身の魅力に迫る特集が組まれるほど。「女性の若さ」が優位されがちな日本で、早くから、歳を重ねて生まれるエレガンスを、それを生み出すテクニック&心持ちをエッセイとして発表してきました。日々の何気ない気づき、習慣、美容タイムから、眠れる”大人美”を育てるためのヒントが満載。
協力/藤本容子
構成/川端里恵(編集部)
・第1回「「大人磨き」とは、もう一度、未来の自分にわくわくすること」はこちら>>
・第2回「老けない人は、立て直しの「サイン」と「タイミング」を見逃さない」はこちら>>
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