性教育は性の幸福感も語れる多様性を〜日本の性教育のいまと未来〜
自分らしい人生と豊かな人間関係を築くための健やかな性教育を社会に広める、NPO法人ピルコンの染矢明日香さん。今回は、ピルコンの活動内容と性教育先進国の取り組みにクローズアップ。日本における昔ながらの性の価値観を子どもたちに“負の遺産”として引き継がないために、性教育の最前線を知ることで、いま私たちにできることを一緒に考えていきましょう。
価値観の押しつけでなく
選択肢を与えることが重要
––– ピルコンさんは現在までに、150回以上、約2万人の中高生に対して性教育の講演をされてきたそうですね。性に関することは、スムーズに受け入れられない場合も多そうですが、まずはどんなお話から始めるのですか?
染矢:導入としては、恋愛の話をしています。まずは「人を好きになるってどんな気持ち?」「おつき合いする時に大切なことって何だと思う?」などと聞いてみることから始めます。
そこからデートDVの話題に繋げるのですが、「殴る蹴るといった身体的暴力だけでなく、スマホを勝手にチェックしたり、常に自分との約束を最優先するように強要したり、コンドームを付けずにセックスしようとすることもデートDVだよ」という風に説明をして、そういう関係の延長線上に、思いがけない妊娠をしたり、性感染症をうつされたりすることもあるという事実についても話します。
そして、「性にはさまざまな側面があり、幸せを生む反面、傷ついたり傷つけてしまったりすることもあるんだよ」と。「生殖としての性には、妊娠・出産という大事な役割があるけれど、人は生殖のためだけに性行為をするわけではないよね。セックスは、相手とやすらぐ時間を共有したり、ふたりの関係性を深めたりすることもできる。ただ、なかには“性”と聞いただけでタブーを感じたり、ネガティブなイメージを持ったり、エロを連想する人もいる。性が支配や暴力のツールとして使われることもあって、一方が気持ちよくても、相手が嫌がっていたり傷ついていたりすることもあるし、だから、そんな性とどう向き合うかが大切なんだよ」と伝えています。
また、“性の健康”とは、単に病気がないだけでなく、性を通じて心と身体が幸せな状態にあることだということも、理解してもらいたいポイント。そのためには、性や人間関係についてオープンに向き合う姿勢が必要ですし、相手を尊重し、差別や強制や暴力のない人間関係を育んでいくことも大切。さらに、それをかなえるための情報を得たり、サービスを受けたりすることは、すべての人に与えられた権利だということも覚えておいて欲しいですね。
––– 性暴力についてはどのように話していますか?
染矢:重視しているのは、性的同意について「『したい』と思う方が、声に出して確認しよう」ということです。「相手が『嫌だ』と言ったらやめよう」「答えが曖昧な場合もやめておこう」とか、「相手から『その行為は嫌だ』と言われたとしても、それは、『あなたを好きじゃない』と言っているのとは違うよ」とか。また、伝えようとしても、相手と上下関係にあったり、嫌われたくないという思いがあったりすると、自分の気持ちを伝えにくいことも。その場合は「言葉に出しにくい時は、とにかくその場を離れて、誰かに助けを求めることもできるよ」と話しています。
––– 日本人は往々にして空気を読もうとするので、断ることを教える教育は大事かもしれませんね。
染矢:もうひとつ、性について話す際に心掛けているのは「〜しないといけない」という言い方をしないことです。そういう言い方だと、「きちんと伝えられなかった自分が悪い」と、できなかった自分を責めてしまい、さらに自尊心をなくすことにつながる懸念がある、と発達障害の当事者の子から指摘を受けたことがあります。性生活を送るうえで、自分の気持ちを相手に伝えるスキルは役立つものですが、さまざまな事情でそれができない人や、難しい状況にある人も。だからこそ「〜してもいいんだよ」「〜という方法もあるよ」と選択肢を提示する表現を大切にしています。
性教育が進んでいる海外の傾向としても、“価値観を伝える”ことより“情報を与え、最適な選択が主体的にできるようにエンパワーする”ことを重視する流れになりつつあります。リスクを強調して脅したり、何をすべきかを教えるのではなく、本人にとってベストな選択肢を考えられるようにすることが大切にされているのです。他人に危害を加えないという前提があったり、現実的に起こるトラブルとして何が想定されるかシミュレーションするディスカッションの機会も確保されたうえでのことですが、「誰もが自己決定する権利がある、それが悪い選択だったとしても」という性教育研究者の言葉は、私にとっても衝撃的でした。たとえ自分の価値観のなかで、子どもが悪い・間違った選択をしても認めてあげることはチャレンジングだなと。それは子どもの力を信じることであり、関わる人の忍耐力が試されることでもあります。
でも、思えば私も自分自身の中絶の後には、自分や相手を責めて精神的につらい時期がありました。なぜ自分ばかりがこんな思いをしなければいけないのかと…。その時、母に相談をしたら「自分のした選択に対して、どれだけ前向きになれたかで、その価値は変わるよ」という言葉をかけてもらい、それが心の支えになりました。それ以前に、思いがけない妊娠をしたと伝えた時も、「どうするかはあなたが決めなさい。どちらの選択をしたとしても味方でいるよ」と言ってもらったことも、自分が尊重された安心感と母の愛を感じました。もしもあの時、母から「なんてことしたの!」とか「あなたがそんなことするからよ」と言われていたら、おそらくもう二度と母には相談したいと思わなかったでしょうし、自分を責めて自暴自棄になっていたかもしれません。
いまは自分も母親になり、「子どもに悲しい思いをして欲しくない」と常々感じています。そのためには、子どもの行動を一方的に制限するのではなく、子ども自身が考え選択できるように支え、そしてその選択をジャッジするのではなく、応援することが豊かな人生に繋がっていくものだと思っています。
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